2021年9月19日日曜日
9/19 手賀沼 大異変
378
20210917
カメラ、三脚を自転車荷台に入れ、手賀沼周辺を気楽に周回出来るようになったのは 2001年「手賀大橋」が新しくなって以降です。それまでは旧態依然とした細い橋で、自動車による危険が多く自転車では渡りづらい橋でした。
しかし便利になったおかげで「仕事用に必要と決めつけ・・・」デジカメ・ハイビジョンカメラを何セット買い替えたことか! 数えきれません(笑)。
「閑話休題」撮影機材の話はここまでにして、本題に移りましょう…
【手賀沼 大異変 】
2020年、沼の一割も占める「ハスの大群落」が突然消えてしまったのです!
「手賀沼自然ふれあい緑道」の中央部に 沼の約一割(0.6K㎡)も占めた大きなハスの群落があったのです。が、2020年 初夏、花・葉の一本も水面から顔を出さず全て枯れて「消滅」したのです。
まるで、極度の環境変化・薬物投入などによる「種の絶滅」のようです。
翌年2021年になっても全く発芽せず、管理者が調査した結果は「原因不明」
では 写真をどうぞ…
山ケン
2021年9月11日土曜日
9/10 小さな昆虫たち
377
20210910
小さな昆虫たち
夏から秋、野原は小さな昆虫の天国。名前も分からず せわしく飛ぶ姿・葉影で休む姿を無性に写真にしたくなるのです。
しかし撮れた一枚の写真から彼らの名前を正確に同定することは大変な作業で手持ち資料・ネット情報でも 大概の場合無理です。
そのため「 写真便り」では、形・姿の特徴から 学名上の“科・目”を類推して、撮影場所などから「○○の仲間」と、表記していますのでご勘弁下さい。
では・・・
377₋1 キリギリス
羽化間もない子供のキリギリスがヒルサキツキミソウの花の中にいました。
*キリギリスは バッタ目ですが普通のバッタと比べて
触覚が特に長いのが特徴
377-2 ミギワバエ*①の仲間
*① 沼などの水際に多くいるのでミギワバエ科(“水際”のハエ)
と分類される蠅です、亜種が非常に多い。
377-3 ハナアブの仲間
よく似た昆虫にハナバチが居るが、その違いは
・アブ⇒上位分類は「ハエ目」で、尻に針が無く、全て 口で処理する」。
・ハチ⇒姿はよく似ているが、上位分類は「ハチ目」、尻に針があり敵を攻撃
する武器です
377-4 イトトンボの仲間
イトトンボが小さなハエ(場所を考えると小さなミギワバエ)を捕食中
*【日本産の「○○イトトンボ」と名前がある仲間は35種も居ます「ネイチャーガイド 日本のトンボ;2012年 (株) 文市総合出版」】
山ケン
2021年9月4日土曜日
9/3 手賀沼の雑草 その2
376
20210903
手賀沼の雑草 その2
8月に373号にて紹介した雑草は「悪者雑草」でした。
今回は「食べられる雑草」の話しです。
376₋1 2 荒地に咲く菊の花
手賀沼畔の雑草地に、夏の終わり頃からきれいな「菊」の群落が出現する。
この花の名前は「キクイモ(菊芋)」。
原産地は、北アメリカ北部から北東部、食用になることから全世界に分布。
日本では1850年台(ペリー提督らが浦賀に来航した頃)に「豚芋」と言って家畜の飼料用に伝来し全国に拡散した。
第二次大戦中 特に加工食品(又は直接食用)として栽培したものが野生化したのです。
376-3 根茎部
食用は花ではなく、サツマイモなどと同じ塊茎(こんけい⇒肥大した根の部分)だが、普通の芋類と異なり、デンプンをほとんど含まず、生の菊芋の13~⒛%が「多糖類イヌリンを多く含む植物繊維」。
イヌリンは、オリゴ糖の一種キクイモオリゴ糖(イヌロオリゴ糖)となり、果糖の原料にもなることから「健康食品として顆粒やお茶に加工され市販されている」。
岐阜県の恵那市岩村町では、菊芋の味噌漬けや粕漬けを名物として販売中。
長野県下伊那郡 泰阜村(やすおか村)、熊本県菊池市などでは、キクイモを用いた地域振興を進めているようです。
山ケン
2021年8月28日土曜日
8/27 東京のランドマーク
375
20210827
東京のランドマーク
「東京のランドマークはどこ?」と問えば言うまでもなく昭和に出来た“東京タワー”と平成に出来た“東京スカイツリー”の二つでしょう。正解です。
では、明治時代の東京ランドマークはどこでしょうか?
返事は「・・・」の人が多いのではないでしょうか。
375₋1 東京スカイツリー
東京スカイツリーは、2000年(平成12)に出来た現在のランドマーク ナンバー1です。
高さ:634m(ゴロ合わせ⇒武蔵=むさし)、日本一の電波塔です。
375₋2 東京タワー
東京タワー(高さ;333m)は、江戸末期には出来ていたフランスパリの「エッフェル塔“324m”より高く」の計画で、1958年(昭和33)に完成した“333m”。ナンバー2のランドランドマークとして 現役です。
375₋3 明治時代の東京ランドマークは?
本図で上野公園不忍池と浅草観音との間にある「?」がそれで、当時の人が「浅草12階」と呼んだ“凌雲閣*①(りょううんかく)”です。
*①;凌雲閣(高さ;39m)は、1890年(明治23)、浅草に建てられた遊覧施設として日本初の電動エレベーターや電灯、電話設備などを備えたモダンでハイカラな建物、展望室は10階から12階まで(11階、12階は木造)、そして12階には、望遠鏡が備え付けられ、東京市内はもちろんのこと、関八州の山々まで見渡せると、たちまち浅草の名物となった。
そのころの絵葉書をみると、浅草風景の凌雲閣が間違いなく“ランドマーク”でしょう。
375₋4 大震災で崩壊した姿
しかし、1923(大正12)年9月1日に発生した関東大震災で、凌雲閣は8階から上が崩落、展望台にいた10数人の観光客がほぼ即死するという大惨事が発生した。
大震災後、再建は不可能と判断 陸軍工兵隊によって爆破解体された。
33年間の寿命でした。
375₋5 江戸東京博物館に造られたモデル
江戸から明治になっても 建造物は大きな変化はなくほとんどが二階家まで。
浅草に突然出現して、一般人が上れる39mの建造物はなんと言っても東京の象徴です。
明治時代に、こんな立派な“東京のランドマーク”があったのです。
山ケン
2021年8月21日土曜日
8/20 手賀沼にも飛来していた 特定外来生物*⓵“カナダガン”
374
20210820
手賀沼にも飛来していた 特定外来生物*⓵“カナダガン”
*政府発表2015年(平成27)12月8日「初めて外来生物の完全防除に成功した報告」
今回は、1998年より環境に関するコンサルタントになった関係から、対象を○○会社と言う組織単独だけでは情報不足になると思い、里山の動植物・風景にも目を向けることが必須と考え、連日近くの手賀沼にカメラをぶら下げて通った頃の写真です。
374-2の2003年頃は、374₋1のCNN(2018/04/25版及び、374-3 4の日経電子版記事(2015/12/08)の存在などつゆ知らず「珍しい迷い鳥飛来!」と喜んでカメラを向けたのを記憶していました。
374-1 カナダガンが人間を襲った;2018年CNNニュース
たかが水鳥と「軽視しては危険」です。
水鳥なのに「日本では特定外来生物*⓵に指定されている鳥なのですから…
*①『特定外来生物による生態系等に係る被害の防止に関する法律;制定2004年(平成16年
法律第78号)』に登録された動植物の中の“カナダガン”の事です。
374-2 手賀沼に、今まで見たことも無い“ガン(雁)”飛来
374-3 4 5(手持ちのハンドブックにより)「カナダガン」と判明
どこかで飼育されていて「篭脱け(脱走)・飼育放棄」など不明だが とにかく珍しいので、フォロー開始、連日の監視約1年で手賀沼から姿を消した。この時は特定外来生物などと知らないまま「あーあ、どこかへ行ってしまった」との記憶だった。
【カナダガンに関する環境省発表;2015年(平成27)12月8日】
特定外来生物カナダガンの国内根絶について「お知らせ」
『特定外来生物カナダガンについては、日本国内で定着が確認されていた 個体の防除が完了したのでお知らせです』
・これまで、我が国に定着した特定外来生物について根絶した事例は一件もなく、本件のカナダガンが 日本で初めての根絶事例です。
【背景】カナダガンによる我が国での生態系等への影響としては、増殖率が高く放置しておくと個体数の増加、生息域の拡大を招き近縁種であるシジュウカラガン(絶滅危惧に近い種)等との交雑といった遺伝的攪乱や農業被害(イネ科植物⇒大好物)が懸念される。
我が国では1985年(昭和60)観賞用に飼育されたカナダガンが 野外に定着し、異種間の交雑も
確認したことから 2010年(平成22)より、カナダガン調査グループを構成・主体となって、地元関係者等と協力しながら防除が進められてきた。防除手法は、成鳥の「捕獲⇒管理飼育」及び「擬卵交換(抱卵中にすきを見て本物タマゴと偽物交換)」による増殖抑制を中心に行った。これらの防除活動により、2014年(平成26)までに71羽、卵150個以上の防除を実施し、国内の根絶が完了した。
最後は、手賀沼に近い 北東5㎞の茨城県牛久沼の2羽だった。
もしかすると、この写真の3羽のどれかかも…複雑な感情だが仕方ありません。
山ケン
2021年8月15日日曜日
8/13 手賀沼畔の雑草 その1
373
20210813
手賀沼畔の雑草 その1
関東平野の沼では一番広い手賀沼、その周辺には数百種もの雑草があります。その中の「悪者雑草」の話です。
373-1 2 ワルナスビ
沼の周囲を毎日自転車で回るようになってから20ウン年、かなり目立つようになった雑草に「ワルナスビ」がある。
この植物の命名者牧野富太郎博士自身が書いている随筆の紹介です。
【牧野富太郎 随筆 植物一日一題】(筑摩書房:2008/2/10
下総の印旛郡に三里塚というところがある。私は今からおよそ 十数年ほど前に植物採集のために、知人達と一緒にそこへ行ったことがある。ここは広い牧場で外国から来たいろいろの草が生えていた。そのとき同地の畑や荒れ地にこのワルナスビが繁殖していた。
私は見逃さずこの草を珍しいと思って、その生根を採って来て、現住所 東京豊島郡大泉村(現在:東京都板橋区東大泉町)の我が圃中(はたなか)に植えた。
さあ事だ。それは見かけによらず悪草で、それからというものは、年を逐うて
その強力な地下茎が土中深く四方に蔓こり 始末におえないので、その後はこの草に愛想を尽かして根絶させようとしてこの地下茎を引き除いても 引き除いても切れて残り、それからまた盛んに芽出って来て今日でもまだ取り切れなく、隣の農家の畑へも侵入するという有様。
イヤハヤ困ったものである。それでも、奇麗な花が咲くとか見事な実がなるとかすればともかくだが、花も実もなんら観るに足らないヤクザものだから仕方ない、こんな草を負い込んだら災難だ。
この始末の悪い草、何にも利用のない害草に「悪るナスビ」とは打ってつけた佳名であると思っている。そしてその名がすこぶる奇抜だから一度聞いたら忘れっこがない。
373-3 4 アメリカ(セイヨウとも言う)オニアザミ
手賀沼周辺では、この雑草は最強の刺のある「雑草ナンバ-ワン です!!(山ケン)」
花自体を除いた全てが極厚のゴム手袋でも透してしまう程の強烈な刺で覆われ不用意に手を付けたり、踏み込まないで下さい。
手足が傷だらけになります。
山ケン
2021年8月6日金曜日
8/6 コブハクチョウとコハクチョウ
372
20210806
コブハクチョウとコハクチョウ
もうかれこれ20年も付き合う手賀沼のコブハクチョウ達。彼らの生活・行動、縄張りの広さなど自分事のような昨今です。
野鳥撮影のプロ達はコブハクチョウ*①を“輸入種”と決めつけて 誰も野鳥扱いをしない。が、この鳥は1952年に皇室のある人がヨーロッパから持ち帰り皇居の堀に放したのが最初で、お濠から飛び出して野生化、全国に住みついてもう70年も経ち、今は日本中の水辺で生活している立派な野生の鳥です。
そろそろ野鳥と同列の扱いにしても良いのではと個人的に思っています。
*①:コブハクチョウは“家禽”ではなく上記の人為持ち込みが理由で 専門用語上では「その他の外
来種」に分類されるが、駆除が必要な「特定外来生物指定リスト」には入っていません。
372₋1 季節の渡り訓練で飛来のコハクチョウの幼鳥とコブ白鳥家族の交歓会
近くの田圃に毎年渡って来る“コハクチョウ”の群れの幼鳥達(写真;右上の4羽 生まれて一年未満は羽根色で分かる)が手賀沼によく遊び飛来します。そのためか野鳥カメラ屋さんは大喜びでカメラを向ける。が、手賀沼居付きのコブハクチョウには見向きもしない・・・なぜ? 同じ白鳥なのに!
*撮影:2005年2月
372₋2 「見て/みて、 僕ってすごいだろコハクチョウみたい!」「・・・」
コブハクチョウの子供達の中の普通色の幼鳥がそろそろ大人になる頃です。手賀沼に暮らす家族の20年前は普通色*①の子供が多かったが、最近は白色系*①だけが生まれる家族が増え、3年前から 普通色の幼鳥誕生はたった一家族だけになってしまった。
*①普通色:幼鳥1年生の羽色が他種の白鳥と同じ茶色で2年を過ぎる頃から段々と白が増える。
白色系幼鳥;ヨーロッパでは“ポーリッシュ⇒ポーランドで突然生まれた種”と言われ 始めから
白い。しかし手賀沼での20年間の観察では 逐次白色系が勢力を増してきて ほとんどの家族の
幼鳥が白色になって来た。近親婚ペアーが多いためだろうか・・・ *撮影:2008年9月
372₋3「ここはお前達の場所じゃない 帰れ!」
縄張り主のコブハクチョウ(成鳥♂)の領域に入ってしまい追われる初飛来のコハクチョウの幼鳥 *撮影:2005年2月
山ケン
2021年7月31日土曜日
7/30 夏、身近なところに咲く花のアップ写真
371
20210730
今週は、息抜きの週にしたいと思っています。
夏、身近なところに咲く花のアップ写真です。
解説・説明の類は一切省かせてもらい、写真をそのまま見ていただきたく思っています。
どうぞよろしく…
371-1ビヨウヤナギ
371-2ヒルサキツキミソウ
371-3シモツケの花
371-4ハス
山ケン
2021年7月23日金曜日
7/23 オリンピック大会、嘉納治五郎と日本の歴史 その2
370
20210723
東京2020オリンピック開催!
オリンピック大会、嘉納治五郎と日本の歴史 その2
370₋1
今日(2021(令和3)年7月23日) 嘉納治五郎の魂は手賀沼湖畔の本人の別荘跡で、じっと東京方面を見つめているのでは…
*手賀沼畔「嘉納治五郎別荘跡公園にて」
370-2
嘉納治五郎が日本のIOC委員になって1912(明治45/大正元)年ストックホルム大会に参加してから百年余が過ぎた。
ピエール・ド・クーベルタンから駐日フランス大使を通じて、東京高等師範学校校長だった嘉納治五郎にオリンピック参加の要請があった1909(明治42)年。IOC委員を受諾した嘉納治五郎は日本のオリンピック参加活動を開始 大日本体育協会設立など多忙な日を送った。
そのうえ、頻繁に海外に出向き、「柔道の講演、実演を通しての紹介と普及に務め、格闘技柔道を教育的手法として広めた」。その後も彼の活躍は留まらず1936年IOCベルリン総会で漸く1940年は東京開催を取り付けた…
*嘉納治五郎の努力で柔道は老若男女が柔道衣を身に着けて心身の鍛練に励み、現在は
「約204の国と地域が 国際柔道連盟に加盟(2020(令和2)年現在))している。
270₋3
ベルリンの2年後1938(昭和13 )年、カイロ(エジプト)IOC総会で、1940(昭和15)年東京大会の決定を心に、 帰国途中の5月4日(横浜到着の2日前)、氷川丸の船内で肺炎により逝った。
横浜に帰港した嘉納治五郎はオリンピック旗で棺を蓋われて下船したのです。
*1940年東京大会が戦争で中止になったことも、戦後の1964年「東京大会」開催、
「東京2020」のことなど、全てをが…
270-4
今、嘉納治五郎は、手賀沼の別荘と東京の中間点である東京都立八柱霊園(松戸市)で、柔道連盟 加盟国数ほどもある多くの石(人)に守られて 静かに眠っていました。
山ケン
2021年7月16日金曜日
新型コロナ・オリンピックの心配を少し忘れたいです。
369
20210716
あやめ・しょうぶ(どちらも同じ漢字で“菖蒲”) のお話し
1 【広辞苑】
1)あやめ【菖蒲】⇒アヤメ科の多年草 ②ショウブの古称。
2)しょうぶ【菖蒲】⇒サトイモ科の多年生草木。
2 【別資料(Wikipedia他KEN) 】
*1 あやめ【菖蒲】=「ハナショウブ(花菖蒲)」が一般的な植物名なのに、
・大和朝廷がこの植物に「菖蒲」の漢字を当て、「ショウブ」と音読(おんどく)させた事が問題の始まりで…(KEN)
・万葉集では「あやめぐさ」と読み込んだ歌が12首も出ている。
・この「ハナショウブ(花菖蒲)」は、江戸時代中期になって盛んに品種
改良が行なわれ、カラフルな園芸種の花が増えた。まさに江戸時代流行した「朝顔」のような調子だったのでしょう。
*2 しょうぶ【菖蒲】
・古くは“あやめ”と呼んでいたが、アヤメ科のアヤメ・ハナショウブの類とは葉の形が似ているものの、
全くの別種 ⇒サトイモ科の事をしょうぶ【菖蒲】と呼ばせた。
・剣のように勢い良く伸びる葉と独特の香気を持ち、中国では古来 から 陰陽五行説で、“端午節句で邪気を払う厄除け植物”として大和時代に伝えられた。
3 【間違っていた記憶】
同じ漢字 ゆえに、厄除けの『端午の節句の“菖蒲湯(しょうぶゆ)”を今まで「同じアヤメ科の草」と思い込んでいたことにやっと気づきました。ゴメンなさい
では・・・写真をご覧ください。
369₋1 369-2 369-3 369-4
山ケン
2021年7月10日土曜日
7/9 オリンピック大会、加納治五郎と日本の歴史 その1
368
2020709
オリンピック大会、加納治五郎と日本の歴史 その1
「東京2020オリンピック」。“コロナ禍”真最中のところ、IOC発言・G7出席者の賛同を受けた日本政府が“安心・安全”をキャッチフレーズに強行です。しかも4回目の緊急事態宣が発令。なのに 具体的な方策は「自治体と参加当事者(競技者含む)任せ」のまま!!
TVでフト耳にしたどこのメディア(研究者?) か不明だが、「当事者と国民の間を“安心・安全”な間隔を確保する「バブル隔離方式*①」と、発言していた…
*①;大会に参加する国内・外の当事者は“専用飛行機・移動車両・宿舎・競技”全てにおいて、一般人
と「空間的 に シャボン玉のような「バブル」の中と外で隔絶して行う方式、だとか…大丈夫?
「シャボン玉のようなバブルに触れ(ルール違反ですが) ても 安全?」必ずハジケますヨ!!
*このバブル方式、山ケンの印象では3週前の写真便り365のテーマを思い浮かべました。
マ!っ仕方ない 今日の本テーマ[嘉納治五郎とオリンピック]に戻りましょう。
368₋1 準備万端(?)
いろいろ課題の多い中、この五輪旗の基に“GO!”
*記憶を呼び戻す意味で、オリンピックと日本の歴史を振り返って見ます。
368₋2 1912年 ストックホルム(スウェーデン) 大会と日本
近代オリンピックの父である“ピエール・ド・クーベルタン(男爵)”の「オリンピックを世界の平和の祭典に!」との働きかけに、日本初のオリンピック委員 嘉納治五郎の活躍で、初めて参加した。選手は三島弥彦と金栗四三の2名だった。
368-3 1920年 アントワープ(ベルギー)大会
アントワープ大会において「オリンピック旗」が初めて使われた。
「相互の結合・連帯を意味する“青・黄・黒・緑・赤”5色の輪はヨーロッパ、南北アメリカ、アフリカ、アジア、オセアニアの五大陸」を表わしている。
嘉納治五郎が精力的に活躍、1936年ベルリン総会で1940年の日本開催を取り付けたが・・・
368₋4 日本におけるオリンピック
1964年東京大会は前日の空模様に反して日本晴れ、神宮競技場の上空「五輪旗」が画かれた。1972年冬季大会はサッポロ、1998年冬季も長野で…
368-5、6 2020年 東京に決定
しかし、2019年暮に発生した“新型コロナウイルス”が世界中に蔓延。
脅威のスピード拡散により2020年は延期に・・・
2021年春になり、ようやくヨーロッパ・アメリカなどに若干良い結果が見え、
日本ではワクチンの接種遅れなど、不安があるが…
IOC・日本政府は「2021年7月末から開催」可能と判断した。
山ケン
2021年7月2日金曜日
7/2 手賀沼の空
367
20210702
手賀沼の空は、季節・天候・時刻によって 被写体が【暗い・寂しい 】、【明るい・楽しい】など一瞬に変わるのでドラマ的な良い写真素材になります。その瞬間を記録したくて、飽きずにカメラを持って行くことになります。
367₋1、ピーカンの夏空
7月7日は二十四節気では小暑、七十二候では『温風至(あつかぜいたる)(撮影7月)』です。手賀沼の空は青く抜けて、北国への渡りをしない「コブハクチョウ家族」も、パラグライダーも楽しそうに飛行していました。
367₋2 家族飛行
手賀沼で生活するコブ白鳥家族の朝、先頭が父親、次が母親、後方の2羽が巣離れ直前の子供たちです。2月(この撮影は2月)になると、父親は次の営巣のために子供たちを自分の縄張りから追い出す準備の教育飛行でしょう。
367-3 出稼ぎ飛行
カワウは季節により集団飛行して餌場を探します。
彼等は手賀沼周辺にはコロニーが無いので、多くの集団は銚子辺りから出稼ぎ飛行のようです。
集団飛行の目的地は魚の追い込み漁の場所です。家族関係は全く不明です。
単独行動の時は、自分の気に入った場所を探してそれぞれ魚を追うことになります。
367-4 ランデブー
アオサギは、普段は単独行動、冬の一時期だけ夕刻から沼の浅瀬に集まり集団で夜を過ごす。このようなアベック飛行は稀で思わずシャッター切りました。
367₋5 日没後の帰巣
サギの仲間は、日没を合図に帰巣しますが、このダイサギは遠くからの単独帰巣でしょう。辺りが暗くなり131㎞遠方の富士山も闇に消えそうです。
山ケン
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