2018年3月31日土曜日

3/30 カメラ散歩  神田川 面影橋 今昔








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20180330
カメラ散歩  神田川 面影橋 今昔 

今年の東京は例年になく早く桜シーズン入りです。
“サクラサク 早稲田の森と 俤(おもかげ)のはし”
早稲田大学の脇を流れる神田川・面影の橋(昔は“俤のはし”)
今は盛りと桜が咲きましたが学校の入学式はこれからです。

197-1 神田川 現在の面影橋付近
桜満開の神田川はこの辺りではだいぶ道路より下を流れています。
この段差は多分(198-2の絵から)160年の時の流れによる浸食と 町の発展に伴う護岸のせいでしょうか。

197-2 江戸時代の“俤のはし”
俤のはしは(高田の馬場の)北の方に架せる土橋にして長さ12間余り…」、橋の上には女に日傘を持たせたお内儀さん、橋の袂には当時流行りのスッポン売りもいる平和な江戸近郷の田園風景です。

*江戸時代の古地図によると神田川のこの辺りは河原が広く砂利場もあり、
太田道灌の伝説の里「山吹の里」も近くだったとのことです。
また蛍の名所として他では見られない大きな蛍が飛び交っていて「老若男女
籠を持って集まり団扇で蛍を追い回した」と、広重たちの江戸百景説明本に
も記載されていました。
 

197-3 今の面影橋 
橋の長さは昔と変わらず橋の上には日傘の女性! スッポン売りが居ない替わりに両岸に樹齢四 五十年の桜が満開の「面影の橋」です。
お花見風景はありませんが、カメラを持って花を愛でる人たちで賑わう神田川でした。

197-4 桜並木
ここにも居ました! カメラ片手に山ケンのような老人が…()

山ケン

3/23 春の手賀沼の色







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20180323
春の手賀沼の色

春盛りです。
手賀沼の土手道、公園にも いろいろな花()が咲いて サイクリング中のカメラのファインダーには日替わりで春色になります。

196-1 春一番
手賀沼の周囲18kmは信号機が1基もなく自動車が入らない遊歩道。
半分の9kmは道幅の広いサイクリング/ランニング専用道。

今年(平成30)も早咲きの河津サクラがもう満開! 終了式を終えた高校生も楽しそうに家路を急いでいました。
  *20180312撮影 

196-2湖畔の菜の花
残りの半分は公園やバードウオッチングに適した樹木の多い小道、釣り堀などが点在する遊歩道です。
  *20150321撮影

196-3 コブシも咲きました
真っ白なコブシが満開です。
  *20160326撮影

196-4 新緑が輝く遊歩道
  *20030428撮影

山ケン

2018年3月16日金曜日

3/16 カメラ散歩 上野桜木界隈







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20180316
カメラ散歩 上野桜木界隈

東京には震災・戦災にも遭わず明治・昭和のまま残っている町があります。
上野の東京芸大裏で谷中霊園の間の一画に 上野桜木と言う「明治の残る町」がそうです。

195-1 今も現役の長屋
ここはバスが通う街道(言問い通り)なのに 明治・昭和の面影が残る東京です。
齢八十になった山ケンが小さい頃住んでいた高崎(江戸時代から栄えた小さな城下町で、町毎に寺があった)の昔の姿と似ていて、カメラを向けた瞬間 70年前にタイムスリップしたような感情がこみ上げてきました。

195-2 現役民家
裏通りの行き止まり路地も悪ガキ達が飛び出して来そうで昔と何も変わっていません。
ここは上野公園の隣 さすがその家は、レトロな雰囲気を演出した喫茶店として繁盛していました。

195-3 井戸端
(向かいの家の湯沸かし器が無ければ) まさに明治・昭和そのままで、先刻までおかみさん達の声が飛び交っていたような路地裏でした。
 
195-4 江戸町火消「“れ”組」の遺構発見!
町内を散策中に一軒家の小さな裏庭に門柱(門灯?) のようなものを見つけました?! 
朱入れした「“れ”組」の文字が 一瞬“江戸町火消し”を思い出し家に帰って調べてみました。

*徳川吉宗の「享保の改革」のとき 南町奉行大岡越前守忠相が“町火消し組”を創り、享保5年には隅田川の西側を受け持つ“いろは四十八組”を組織。

東京消防庁の資料“町火消しの記録”によると 隅田川西側地域の“九番組”に「つ・ね・そ・れ」の組があり「“れ”組」は根津・千駄木・池之端を受け持つ 人足225人を抱える大きな組と分かりました。まさにここの土地! 
と、するとこの写真の場所は“言問い通り”の裏路で 雰囲気といい「“れ”組」の遺構の門柱ではないかと勝手に推測しました。

「“れ”組」の縁者かもしれないと、この家の持ち主をその後2度訪問したのですが留守でした。機会をみて再度調べたいと思っています。
                                                        
山ケン

3/9 カメラ散歩  啓蟄の頃 小石川植物園にて









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20180309
カメラ散歩  啓蟄の頃 小石川植物園にて

昨年の小石川植物園は大寒1月でした、今回は啓蟄3月の報告です。

194-1 春を写生する人
都心にポッカリ残ったオアシスのような小石川植物園、 昔の千川(今は川は無くなり道になっている)添いの南面傾斜地はもうすっかり春の気配でした。
ここは日本最古の植物園*で近代植物学発祥の地です。
現在の園内には1500種もの樹木が茂っています。
*徳川綱吉が造った“小石川薬園(貞享元年:1684)”から発展

194-2蜜を求めて
メジロは啓蟄で這い出してきた虫を探すより花の蜜のほうが好いようです。
蜜を求めて忙しく飛び回っていました。

1943 植物の精子発見の銀杏
このイチョウの木は 明治29(1896)帝国大学(現東大)の植物学助手だった平瀬作五郎が「裸子植物の*“精子”を世界で初めて発見*」した木で122年経った今も元気に育っています。

  *裸子(らし)植物
裸子植物はシダ類・針葉樹類などの“胞子植物の後に地球上に出現した 種から木/草になる種子(しゅし)植物”の最初のもので“恐竜時代”に栄え、今はイチョウ・ソテツ類・松などが生き残っています。
イチョウは「実を着ける木」と「実が出来ない木があり」完全な“雌雄異株”です。

*この発見は
イチョウの蕊(しべ)が風媒体で受粉した後に形成される形状の変化で
精子”になるものと 「将来成長して実になる“花穂(かすい) *”」に分
かれることの違いを発見した。
   * 稲穂のような形で咲く花のこと:イチョウはこの花が実(ギンナン)
   になる

194-4 日本庭園
植物園の南面低地の泉水地区に造られた静かな日本庭園

1945 広葉樹の広場
河岸段丘の中央部台地には江戸時代からの薬草栽培畑や赤ヒゲ先生で有名な「小石川療養所跡」の井戸や 欅、桜などの広葉樹の広々とした林で、市民の憩いの場所になっています。

*場所は上野公園池之端から大塚駅前行きバスで30分ほど白山二丁目下車徒歩1分です。
どうぞ足を運んでください。

山ケン