2016年4月29日金曜日

4/29 桜撮影雑記





山ケン【山田賢次】です。このmailはBCCでお送りしています。
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今週のテーマ; 桜撮影雑記

今日は昭和91年4月29日「昭和の日」です。
桜は今 弘前辺りが満開でしょうか?
旅行中でしたら山ケンの代わりに写真を撮って送ってください。

桜の写真は意外と難しいものです。
桜には日本人特有の「人それぞれの想い入れ」があるために
撮影の都度悩んでしまいます。
それでも季節になるとそわそわとカメラ片手に桜探しをします。

97-1 樹齢115才桜 満開の日
家から2㎞ほどの小学校の桜は 記録によると今から115年前(明治34年)
に新築したときの記念樹だそうです。

撮影ポイント探しが終わって
4日間ほど毎日 満開日と入学式それに天気を気にしながら通い続け
ついに満開日と式が一致! このカットが撮影できました。今年はラッキー!

97-2 ホームグラウンドの桜
家の前にある柏レイソルのホームグラウンドの染井吉野です。
日立の工場用地だった終戦前からあったとのことですが樹齢は分かりません。
ここに移り住んでから長い付き合いの桜で 毎年のように写真に収めています。

97-3 指定席
この椅子はサッカー試合に来場のビジターさんの開場待ち用です。あなたもどうぞ!

今年のレイソルは少し心配ですが、この桜のように立派に咲いてほしいものです。

97-4 老桜の春
最近各地で染井吉野の樹齢が話題になっています。
一説によると染井吉野は四~六十年が一通りの寿命とのことだそうです。

この老木は2週間前の「僕の原風景(95号)の藁屋根の農家」の脇にあった
高さ十数メートルを超える桜で 今まさに寿命に近く 数十年は経っているでしょう。

精一杯咲いた胸元の花びらと襟元をもみじの新芽が飾ってくれました。

山ケン

2016年4月23日土曜日

4/23 佃島







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今週のテーマ;佃島
21世紀の佃島は隅田川から見ると東京の高楼の様にそびえ立っていました。
そんな佃島の昔を探しに訪ねました。

96-1 永代橋からの佃島
佃島では昭和61年(1986) から超高層マンション「大川端リバーシティー21」が整備
され
東京オリンピックを間近にして東京都心の新時代に変身中でした。

96-2 時代の狭間
東京駅前でレンタサイクルを借り永代橋を渡って30分、佃島に着きました。
超高層マンションに囲まれた佃島には未だ懐かしい銭湯も営業していて
昭和の雰囲気の生活を営んでいることが分かり ほっとしました。

96-3 佃島 北斎
北斎が富嶽三十六景「武陽佃島」に描いた佃島は、
徳川家光時代 寛永2年~正保2年(1625~1645)頃に
石川島近くの砂洲に築島し、摂津から移住した漁夫たちが住んでいました。

島の手前、漁師の釣り姿を見ていると
当時は今より魚が沢山釣れたのだろうなー! と思い楽しくなります。

96-4 船着き場
隅田川の佃大橋の上流100m程東岸に幅10mくらいの水路でつながっている
静かな船着き場は 昔の隅田川の匂いを思い出させてくれました。

96-5 追憶
冬の陽だまり、小さいとき住んでいたお稲荷さん脇の風景に
タイムスリップしたような気分に浸り 一日のカメラサイクリングを終えました。

山ケン

2016年4月16日土曜日

4/16 僕の原風景








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今週のテーマ;僕の原風景

病後の体力増強維持のため カメラ片手のサイクリングを続けている本当の目的は
「僕の原風景探し」だったような気がします。

95-1 裏庭
春風に誘われて 住宅街のいつもの道から外れ ふと目にした風景。
新緑の中、藁屋根の小屋があった…

かすかな懐かしい匂いを感じた瞬間…時空を超え
(たぶん)小学校2年の頃に場面が替わった。

95-2 母屋
洗濯ものを干していたおばあさんと挨拶を交わし庭に入らせていただいた母屋が
初めて母に連れられて訪ねた家と同じだった。

95-3 隠れ家
家の人と縁側で母が持参の風呂敷包みを広げ何か話し合っている間
裏にまわった僕の目に物置小屋が飛び込んできた
僕は未知の隠れ家を覗き込むように恐る恐る近づいた…

95-4 もみじの芽吹き
帰り道、竹林の脇でもみじの紅い新芽を見上げていた母が
満足そうな顔で
「バスを降りたら何か食べようね」と話しかけ 歩き出した。
母特有の下駄の音が耳の奥に残った…

山ケン

2016年4月9日土曜日

4/8 数奇な運命の新大橋





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今週のテーマ; 数奇な運命の新大橋
新大橋は五代将軍徳川綱吉時代の元禄6年12月7日(1694年1月4日)、
千住大橋、両国橋に次いで3番目に架けられました。
架橋後何度も破損、流出、焼落があり、
その回数が20回を超えたと記録が残っています。

94-1新大橋  歌川広重最晩年の作
八代将軍徳川吉宗(1716~1745)は幕府財政窮地に至った享保(1717~1735)、
橋の維持管理をあきらめ廃橋を決めた。が 町民衆の嘆願により橋梁維持に伴う
諸経費を町方が全て負担することを条件に延享元年(1744)には存が許された。

 *歌川広重(1794~1858) この絵はゴッホが模写したことで有名

94-2「江戸名所図会」より新大橋 斎藤 月岑
町衆は維持のために橋詰にて市場を開いたり、寄付などを集めるほかに
橋が傷まないように橋のたもとに
「渡るものは休んだりせず渡れ、商人も物乞いもとどまるな、荷車は通行禁止」
と高札書きを掲げた民営の橋でした。

*斉藤月岑(さいとう げっしん:1894~1878)江戸の町名主、考証家。
『江戸名所図会』『武江年表』など江戸の町についての基本資料を著述したことで知
られる。

94-3 新大橋は鉄橋になって「お助け橋」になった
明治になって 西洋式の木橋として新しく架け替えられたものの事故は止まず、
ついに明治45年(1912) にトラス式の鉄橋として生まれ変わったのです。

しかし大正12年(1923) 関東大震災で同じ鉄橋の永代橋が橋底に木材を
使用していたため橋底が炎上し多くの焼死者、溺死者を出した。
この時 隅田川の全ての橋が喪失した中で 新大橋が唯一被災せず
避難の道として多数の人命を救い「お助け橋」といわれたのです。


94-4現在の新大橋
お助け橋になったものの 二次大戦後 交通量の増加に橋台が耐えられず
沈下が激しくなり ついに大型自動車通行禁止橋になってしまった。

昭和 53年(1978)、初めて橋が架けられてから284年目にようやく
強固な基礎の上に斬新軽量な斜張橋(吊り橋の一種)の新大橋が完成したのです。

山ケン

2016年4月1日金曜日

4/1 それぞれの休日






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今週のテーマ;それぞれの休日

手賀沼は自然豊かな遊歩道と広々としたランニング/サイクリング専用道など
雰囲気の違う周囲18kmの湖(沼)です。
春、誰もがそれぞれの休日を過ごしていました。

93-1 午後の小道
早春、湖畔小道の散策は小さな幸せです。

93-2 春休みはサイクリングで
早咲き桜のサイクリング道、親子で颯爽と通り過ぎて行きました。

93-3 釣り天狗たち
毎日が休日のシニア釣り師には居心地の良い場所ですネ!

93-4 独り静かに
 狙い物は同じでしょうか たぶん・・

93-5 朝の日課
白鳥家族にとっては芽吹いたばかりの若草が一番のご馳走です。
手前がオス親で普段は人が通ると威嚇行動するのですが、
毎朝出会う常連さんには知らん顔です。

山ケン