2017年11月25日土曜日

11/24 浅草酉の市 “なでおかめ”






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20171124
 浅草酉の市 “なでおかめ”

今年は酉年の“浅草酉の市”です。 
鷲神社(おおとりじんじゃ)には美女“おかめ”が居て 顔を撫でると願いを叶えてくれるようです。

来週30日は “三の酉”です。「三の酉の冬は火事が多い」のだそうです 皆さん火事に気を付けてください。    


179-1 歌川豊国(3代)と歌川広重(2代)が元治元年(1864)に描いた「酉の市」

11月の酉の日に行なわれる祭礼“酉の市”を描いたもので、
旦那は「右手に福をかき込むためのおかめ熊手”、左手には人の上に立つ縁起物の芋頭(いもがしら)を、お内儀さんはご近所への手土産用に正月和菓子の“切り山椒”を持って…」
酉の市で賑う浅草の風景です。
 
179-2 今も残っている江戸時代の“くまで”

縁起物熊手の由来は
「神道では (神話での)日本武尊が東夷征伐の勝利した帰りに 鷲大明神に立ち寄り武具の熊手を奉納した説/仏教の鷲妙見大菩薩の開帳日に立つ“門前市”の 売り物(農機具の)熊手と二つの説」がありますが、史実は地元農民の“収穫祭りの売り物の熊手が発端のようです。
いずれも熊手は福をかき集め、おかめは幸せをもたらせる縁起物、として扱われたようです。
そして今も「浅草酉の市」の呼び物として 盛大になっています。

179-3  “なでおかめ”

鷲神社には“なでおかめ”と呼ぶ縁起物の面があり 参拝者が「面をなでることで良いことが叶う」と伝えられ、最近まで「酉の市」の賽銭箱上にお披露目されていて(写真)
「おでこをなでれば賢くなり」
「目をなでれば先見の明が効き」
「鼻をなでれば金運がつく」
「向かって右の頬をなでれば恋愛成就」
「左の頬をなでれば健康」
「口をなでれば災いを防ぎ」
「顎(あご)から時計回りになでれば物事が丸く収まる」
と、効能書きが認められ 参拝者が競って撫でていました。

しかし、最近の酉の市はあまりにも大勢の人が殺到、とても参拝者を整理できずに お披露目は中止になってしまいました。
代わりに “なでおかめ”の写真(179-3)をWeb公開し「 スマホの壁紙にして願い事を叶えてください」 とホームページに載っています。  
「ウーン 21世紀ですネ・・」

 おかめは (神話説では)「天の岩戸の前で舞を舞い 天照大御神を導き出し 世に再び光を取り戻した立役者 天宇津女命(アメノウズメノミコト)」 だそうです。
「皆さんもこのWeb写真を壁紙にしては如何

179-4 (鷲神社特性)熊手は3千円です
社務所売店では 今様 天宇津女命が願い事を聴いてくれるかも・・・ 
でも この巫女さんの右側の頬を撫でてはいけませんヨ


山ケン

2017年11月18日土曜日

11/17 二十四節気“小雪”の頃







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20171117
今日のテーマ;二十四節気“小雪”の頃

1122日は二十四節気「小雪」
木々の葉が落ち 山には初雪が舞い始める頃です。

今回の写真は 6年前2011年の我が家の記憶(記録)です。

178-1 突然の嵐が去った朝

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明け方寒冷前線通過で激しい風雨が去って 朝は大好きな快晴
ここに住んで40年、庭の主アメリカ楓も紅葉の季節です

178-2 裏庭に出来た天の川

猫の額ほどの“常設写真スタジオ裏庭”も天の川になりました      

178-3 落葉の競演

治療で留守をしたガーデンテーブルも 今日ばかりは彼らが主人公

178-4 紅葉

枝に残った紅葉の葉脈も鮮やかに・・・
今日の気分を高めてくれ 前向きになれた瞬間です

この記憶から6年、体調良好、今も裏庭スタジオで雑草、昆虫たちの撮影に励んでいます。

山ケン

2017年11月10日金曜日

11/10 カメラ散歩 江戸城三つの門









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カメラ散歩 江戸城三つの門
平川門は大奥女中の通用門、北桔橋(きたはねばし)門はお城一堅固な守り、半蔵門は非常時の脱出門でした。

177-1 平川門
*江戸城で桝形門(高麗門、渡櫓門)と木橋の一式が昔のまま残っているのはこの門だけです。
桝形門が寛永12(1635)、木橋の初代が慶長19(1614)、以降数度の改修の後、昭和63
(1988)現在のものに架け替えられました。

平川門は江戸城の裏門にあたり 大奥、二の丸に最も近く、大奥女中たちの出入りする通用門、 御三卿(清水・一橋・田安)の登城口でもありました。
この門は別名“不浄門”とも言われていて、殿中で刃傷沙汰を起こした浅野内匠頭は重罪人とされ、城内の座敷牢に留め置かれた後、一関藩主 田村邸へお預けとなるために城外へ出されるとき、この平川門から江戸の町中を通り隅田川向こうの深川 田村邸へ向かったのです。

177-2 北桔橋門(きたはねばしもん)
江戸城本丸の北、大奥から外部に直接通じる門で、天守()直下の重要地点にあるところから、濠を深く、石垣を江戸城の城壁の中で最も高く石垣が18.5m、堅固な“野面積み(のづら積み)”工法にしたのです。江戸時代この橋は はねばし門と言われたとおり「はね上げ仕掛け」だったのですが、今は固定になっています。

177-3 半蔵門
この門は大手門の真後ろに位置していて、有事の際「将軍を甲州街道経由で幕府の天領である甲府へ逃すための」の“搦手(からめて)*”でした。
そのため重要なこの門の警固を服部正成・正就父子に任せ、門外には服部家の家臣(与力30騎、伊賀同心200名)が組屋敷を構え四谷へ通じる甲州街道(現在の国道20号、通称麹町大通り・新宿通り)沿い一帯を旗本屋敷で固めていたことから 名前が“半蔵門”になったと言われています。
搦手門⇒大手門に対して裏門

177-4 明治時代の半蔵門
門は 搦手口の門の性質上 小さな虎口(城門)で 狭く目立たない構造でした。
太平洋戦争で旧来の門は焼失し、現在の門は和田倉門の高麗門を移築したものです。

177-5 皇居外苑全図
現在の半蔵門内は 皇居吹上御苑で、 御所(今上天皇の住居)、吹上大宮御所(かつての香淳皇后の住居)、宮中三殿などがあります。
今は主に天皇及び内廷皇族が皇居の出入りに用いることがあり、一般人の通行は認められていません。
現在一般開放されている門は平川門、北桔橋門、大手門、清水門、田安門、桜田門です。

山ケン