212
20180713
“鎮守の杜”そこには樹木に包まれた日本人の原点があります。
その鎮守の杜を守った
南方熊楠(ミナカタクマグス)と言う男の話です。
212-1 参道を行く
参道の檜並木を撮影していた時
何故か小さな子供の頃に帰っていたような感覚を覚えました。理由は分かりません・・・
212₋2 社殿にて
ご神木に守られた社殿は懐かしい郷愁が漂っていました。
この少女たちは高校入学のお礼参りだそうです。
212-3摂社
杜の中にはいろいろな“神様”が同居
(摂社:せっしゃ) していています。
この鎮守は千葉県に多い“香取神社”が本社ですが、摂社には“春日社”など何社もありました。
今でも土地の老人たちは自分の心の拠り所にしているようです。
今から110年前、その“鎮守の杜”が日本から消えようとしていた
212-4“鎮守の杜”を守った男
森林の樹木を救ったのが南方熊楠*①(ミナカタクマグス)と言う日本初の“ecologistエコロジスト(生態学者)”なのです。
【エピソード】
明治39年(1906)明治政府が布告した「神社合祀令」で
全国に数千もある神社の統廃合と、近代化をいそぐための資源確保で樹木伐採が制定されることに…
熊楠は “自然保護”が絶対必要と信じ 柳田国男*②(当時はまだ政府官僚)らと共にその政策に強く反対し 廃案に持ち込んだ。
その結果 “熊野の自然林”をはじめ各地の“鎮守の杜の樹木”が救われた。
*①南方熊楠〔慶応3年(1867)~昭和16年(1941)〕;
日本の博物学・生態学・民俗学のレジェンド的な先駆者、和歌山県生まれ
・日本で初めて「 Ecologyを“エコロギ”」と読んで生態学をひろめた
・昭和天皇が生物学者になるきっかけを進講した学者
・ネイチャー誌に掲載された論文が50もあり、今でも日本人の記録保持者
・現在も 多くの著作が図書館の書架を占めている
*②柳田国男(やなぎた くにお)〔明治8年(1875)~昭和37年(1962)〕:日本民族学者・官僚、兵庫県生まれ。
・日本民俗学の開拓者
・「遠野物語」など著作多数。
212₋5御神木一本だけの社殿
サイクリングルートの開拓中、住宅地の丘の上に
御神木と社殿だけで 周囲に樹木の姿が全く無い風景を発見したときの心中…「・・・!」(´;ω;`)
この神社は徳川家光時代
元和6年(1620)に創建後 いつの間にか朽ちて放置されたまま周辺が開拓され
鎮守の杜もなくなって仕舞ったようです。
幸い1本の“御神木”が残っていて、近くのお寺に保管されていた古文書が発見されたことから
地元住民の総意が実を結び 平成24年に再建されたのです。
再建時に植えられた樹木が“鎮守の杜”に成長してほしいと願って映像を残しました。
山ケン