2017年12月29日金曜日

12/29 カメラ散歩   千三百九十歳になった浅草観音ご本尊を守るお堂







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20171229
今年最後の写真便りです。
来年も毎週金曜日配信です よろしくお願い致します。

カメラ散歩   千三百九十歳になった浅草観音ご本尊を守るお堂

東京都内最古の“浅草観音”の本尊は 飛鳥時代【推古天皇36(628)】 江戸浦(今の隅田川)で漁撈中の網にかかった小さな観音像です。
*後になって聖観音菩薩(しょうかんのんぼさつ)と分かった。

184-1 浅草寺
観音像を収めるため大化元年(857)に勝海上人(しょうかいしょうにん)が観音堂を創建。
以来度々の火災(平安時代~室町時代6回)にあい 江戸時代になって7回、8回と続き 二度とも徳川家光が再建【慶安2(1649)】した。
その後 浅草寺一角は江戸の象徴的存在になりさらに栄えたようです。

184-2夕陽に映える本堂の横顔
家光の再建から300年後、昭和20(1945)東京大空襲で9回目の焼失。
戦後の苦しい時代が過ぎた昭和33(1958)再建10回目の本堂がこの写真です。

184-3 宝蔵門と五重塔
宝蔵門も東京大空襲で焼けた後、昭和39年(1964)篤志家の寄贈で建立、経典など寺宝を収めたため 名を仁王門から宝蔵門に改めた。
五重塔も同じく大空襲で焼失、昭和48(1973)鉄筋コンクリート造アルミ合金瓦葺きで高さ48mの清々しい塔になりました。

184-4浅草寺境内の二尊仏
江戸では珍しい「濡れ仏」と慕われていた金銅座像、貞享四年(1687)造立の江戸時代初期の傑作です。

184-5 五重塔法輪
金龍山浅草寺は戦後 天台宗から独立して“聖観音宗総本山となり、江戸三十三箇所 観音霊場の一番札所になりました。
この五重塔法輪の直下、最上階にはスリランカ国の寺院より招来された仏舎利が収められています。

山ケン

2017年12月26日火曜日

12/22 手賀沼 水鳥達の冬の一日







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手賀沼 水鳥達の冬の一日
“冬至”の手賀沼はこんな一日です。

183-1 これが雪か・・

20031227日 昨夜初雪でした。
手賀沼に暮らす白鳥たちは渡りを忘れて「うん十年」・・・
今年生まれの子供達には雪景色は初体験です。

183-2 富士山が見える冬の朝

冬に向かって水鳥たちも入れ替わりました。
カモメも生活場所が定まったようです。

183-3 お昼時

冬 魚も水面に上がって来なくなって・・・
手持ち(足もち?) 無沙汰のコサギ

183-4 一日が終わる

20161219日日没 この船が水鳥たちの“一夜の宿”になります。


山ケン

2017年12月16日土曜日

12/15 カメラ散歩  明治の建物を訪ねて








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20171215
カメラ散歩  明治の建物を訪ねて

“明治の建物”を探しに上野不忍池近く「旧岩崎庭園」にシェアバイク(借り自転車)を走らせてきました。
ここの洋館は財閥岩崎家の迎賓館として明治29(1896) 三代目岩崎久弥によってジョサイア・コンドル*1の設計で建てられたもので、関東大震災にも耐え、東京大空襲も免れた木造建築で今も健在です。

182-1 旧岩崎邸洋館“重要文化財”
内外装とも全体のスタイルや装飾は英国17世紀のジャコビアン様式*2を基調に
イギリス・ルネサンス様式やイスラム風なモチーフなど取り入れた重厚なものです。
東側のサンルームは後年(1910年頃)の増築。

182-2洋館ベランダ
南面のベランダはコロニアル様式*3で、岩崎久弥の留学先であったペンシルベニアのカントリー・ハウスのイメージをジョサイア・コンドルが取り入れたと思われます。

182-3洋館室内
オーク材を多用、重厚な装飾とデザインです。
1階には岩崎久弥が用いた書斎、客室、大食堂などがあり、2階には内向きの客室や集会室などがあります。

182-4撞球室“重要文化財”
木造によるゴシック様式*4のビリヤード室。
校倉造*5の外観はスイスの山小屋風で竣工は明治29年(1896)頃。


*1ジョサイア・コンドル;ロンドン出身の建築家
 明治政府のお雇い外国人として来日 後に工部大学校(現 東京大学工学部建築科)の教授になり日本人建築家を育成、明治以後の日本建築界の基礎を築いた。
鹿鳴館、ニコライ堂、三菱一号館 二号館 三号館など手掛けた。

*2ジャコビアン様式
イギリスのジェームズ1世(160325)の時代の建築・工芸の様式。

*3コロニアル様式
植民地時代、植民地で「自分たちのための」建築様式
特にコンドルが好んだイギリス式はアメリカ ニューイングランドを中心に多く造られた。

*4ゴシック様式
建築分野では12世紀の北西ヨーロッパに出現し、15世紀まで続いた建築様式。

*5校倉造(あぜくらつくり)
断面が三角形となる横材を井籠 (せいろう) 組に積上げて壁体とした校倉風の建築様式。
横材の稜角部が外壁に,平面部が内壁になり,したがって壁体の木口は鋸歯状になる。日本では奈良時代から平安時代初期にかけて,国府,寺院の倉の様式として各地に建築されたが それ以後は例が少ない。



山ケン