2021年1月30日土曜日

1/29 寂しくなった手賀沼の空







 


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20210129


  寂しくなった手賀沼の空


345₋1(コロナ禍以降) 旅客機の機影が全く見えない手賀沼の夕日


 手賀沼サイクリングで楽しむことの一つは上空を飛ぶいろいろな国籍、機種の飛行機だった。

上空を飛ぶ旅客機を見ていると現役のころの出張を思い出したり、飛行機でなければ会えない友人のことを想ったり楽しいものです。


手賀沼はまさに空の十字路で、夕日を受けて高高度を飛行する北米から韓国を往き来するB747A380などの大型機、羽田を出入りする国内路線のいろいろな機種、成田の便を含めると上空は右往左往状態で、夕刻などは数分おきにシャッターを切るような状態でした。


しかしコロナ禍が治まらない今の手賀沼の夕景は、言葉に言い表せない寂しさが脳裏を駆け巡ります。

2017146号の「手賀沼は空の十字路」で紹介したような状態はもう戻って来ないのでしょうか


新聞には、世界中の航空会社保有機の2割も空を飛んでいなとの記事。会社売却/併合情報などが溢れている昨今です (;O;)


 世界中の人たちに「 コロナ禍に打ち勝って、皆が大空を自由に行き交う日が戻って来た」とのアナウンスを早く聞きたいものです。


【外出自粛中の皆さんへ】

写真ストックから引き出したかつての写真です、思い出し材料にしてください。


345-2、3、4、5、6

どうぞ・・・


山ケン


2021年1月22日金曜日

1/22 【江戸時代の俳句作家三人】  その2

 






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 江戸時代の俳句作家三人  その2  

 俳聖:松尾芭蕉

本名 松尾宗久 伊賀国上野(三重県)出身。18歳で藤堂藩の侍大将の嫡子・良忠に料理人として仕え、良忠から俳諧の手ほどきを受けて詠み始め、伊賀俳壇で若手の代表格として地位を築いた。

1672年(28)仕官を退き俳諧師になるために江戸へ 修業を積む。

1677年(33)、俳諧師の免許皆伝となり、宗匠(そうしょう、師匠)となった彼は、江戸俳壇の中心地・日本橋に居を定め活動を始めた。

 

3441 松尾芭蕉庵

1680年(36)、当時の俳諧の俗っぽさを嫌って、門人でありパトロンでもあった 日本橋で

幕府御用の魚問屋を営み豊かな経済力のある杉山杉風(さんぷう)の下屋敷の生簀(いけす)小屋と言われた隅田川東岸、小名木川の合流点の「元番所」と言われた所に居を構えた。

弟子達はここに芭蕉の木を植え「芭蕉庵」と呼び栄えた。

彼自身も号を“芭蕉(はせを)”と替えた。

   *芭蕉庵は東京江東区常磐1丁目芭蕉稲荷大明神のある場所、この像は小名木川と隅田川の合流点の庭園内にあります。

 

344-2 葛飾北斎の作品“芭蕉”翁

 野ざらしを心に風のしむ身かな

1684年(40)、母が他界し2年が経ち墓参りを旅の目的に奈良、京都、名古屋、木曽など

半年間巡る。

・葛飾北斎の描いたこの絵は 芭蕉が初めて世に出した紀行文『野ざらし紀行』の印象では?

*心に残る一句「この道を行く人なしに秋の暮」は俳諧の理想の道を憂いたのでは…(山ケン)

 

344-3 古池や蛙(かわず)飛込む水の音

・有名になったと言われるこの句は42歳“芭蕉庵”で読んだもので「直筆の短冊が現存」

しています。

  *この句碑は芭蕉の自筆を模したものと言われ、現在は芭蕉庵跡の程近くにある清澄庭園内に移されています。

 

344-4 (ゆく)はる()や 鳥啼(とりなき)魚の 目はなみ()

1689年(45)門人たちと共に深川から墨田川をさかのぼり千住で一夜を過ごし翌日皆に

見送られ河合曾良(そら:5歳年下で博学)を供に江戸を発った。『おくの細道』の旅立ちです。

関東から東北、北陸さらに美濃国(岐阜県)大垣まで、工程500里あまり、約150日の及ぶ

大旅行になった。

   *この絵は、限りなく敬い慕っていた与謝蕪村が描いた芭蕉の旅立ちの姿です。

1694年俳諧紀行文「おくの細道」が完成。4ケ月後大阪で病に伏し、1012日午後4時に永眠

した。享年50歳。

*最期の句は死の4日前「旅に病んで夢は枯野をかけ廻(めぐ)る」ですが、彼は、「なおも夢の中で見知らぬ枯野を駆け回っている」と門人に話していて…辞世の句とは考えなかったのでは…

 

山ケン

2021年1月16日土曜日

1/15 1月15日「小正月」







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20210115

 

115日「小正月

 

小正月です、かつては 地域毎に「どんどやき・なまはげ」などの行事があり、それぞれ楽しんだものです。また 家の中では 松の内に忙しく働いた主婦などのねぎらいとして「女正月や、「男性が女性の代わりに料理などの家事を行う日があったようです。が、

 

今年の皆さんの家の「小正月は如何?」

コロナ禍で外では何も食べられない」、「在宅勤務でとてもそれどころではなどなど、こんな時何か気分転換が必要になりませんか

まさに小正月の習慣を思い出して「旦那がキッチンに立って何か料理を」がピッタリですかネ。 

 

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今週の写真便り本題は

フォト俳句「紅葉」】 12月中旬に撮影したものです。

 

音もなくカエデ一葉 地に還る        花石

 

歳の瀬近い松戸本土寺の参道に紅葉探しに来たのですが すでに遅かったようでした。であればと“落葉の一瞬”を狙ったのが こんな画像(343₋1、2)

とても一枚では 表現しきれず2枚になり「ゴメンなさい」。

でも木の根元に落ち葉の仲間が沢山待っていて(343-34))ホッとしました。

あたり前のことですね、12月も月中半過ぎだったのですから()

 

  *蛇足⇒“343₋1”5分間でシャッター回数22回目でした。

 

 

山ケン

2021年1月8日金曜日

1/8 【江戸時代の俳句作家三人】その1

 




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20210108

江戸時代の俳句作家三人その1  三人のプロファイル 

俳諧(はいかい)/発句(ほっく)」など俳句の原型は(1516世紀ころ隆盛した)連歌(57517音からなる前詩と、7・7の14音からなる後詩で構成され 複数人で造る詩)の前詩部分です。

 

 松尾芭蕉から始まった「俳諧・発句」

 江戸時代前期1600年台を生きた松尾芭蕉(16441694)は 連歌から発展させた「俳諧/発句のを詠った俳諧師で「俳聖:松尾芭蕉」と言われていました。

           *「俳句という言葉は明治時代に入って正岡子規が定着させました

   

  表は「松尾芭蕉」「与謝蕪村」「小林一茶」紹介。

 

時代 生まれ~没年

没年齢

有名な句 発句年代は関係なし・・・山ケン選

松尾芭蕉

 

江戸前期 1643?年~

16941128

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芭蕉;一言で言えば

俳諧・発句の道」

の伝道者。

50歳

古池や 蛙(かわず)飛び込む 水の音 

夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡

名月や 池をめぐりて 夜もすがら

この道を 行く人なしに 秋の暮   #

*旅に病んで夢は枯れ野をかけめぐる   *最後の句】 門人の居る部屋で“推敲を重ねていて”。次の旅も計画中、この句を辞世句と認識していないはず… 

与謝蕪村

 

江戸中期 1716年~

1784年1月17

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蕪村;一言で言えば

発句と絵画芸術」

の発明者

68歳

春の海 終日(ひねもす)のたり のたり哉

古庭に茶筌花さく椿かな 

朝顔や 一輪深き 淵の色       

御火焚や霜うつくしき京の町    

*しら梅に明(あく)る夜ばかりとなりにけり *辞世句 静かな姿を妻が確認していた…

小林一茶

 

江戸中期~後期

1763615日~18281月5日

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一茶;一言で言えば

 「生きて居たこと

  の証明人。

後継者は二度と出現しない人でしょう。

65歳

名月を とってくれろと 泣く子かな

うまさうな 雪がふうはり ふわりかな

我と来て 遊べや親の ない雀

これがまあ つひの栖(すみか)か 雪五尺 

           #⇒ 山ケン選択の句

*盥(たらい)から 盥へうつる ちんぷんかん *最後の句と言われているが、句会から帰って直ぐ3度目の(中風(脳溢血))発作で床に入り急死した。辞世の句など詠む機会はできないはず。日記、記録など全くない。「誰かの一茶風作品」では の研究説あり。  ⇒山ケン同感

3421  芭蕉  肖像画作者;杉山杉風(さんぷう)(1647)江戸日本橋で幕府御用の魚問屋を 営み豊かな経済力で芭蕉の生活を支えた門人でありスポンサー。

342-2  蕪村  肖像画作者;呉春⇒1775年頃から本格的に俳諧師や絵師として身を立てていた。

3423  一茶  肖像画作者;春甫⇒狩野派の画家で一茶の門人の一人、有名人の肖像画も多い。

 

山ケン

2021年1月1日金曜日

1/1 2021年【令和三年】 元旦

 

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2021年【令和三年】 元旦

新年明けましておめでとうございます。

 

 写真便りが元日になるのは初めてです。

ご覧頂いている皆さんに励まされてのおかげで持ち応えています。 本当にありがたいことです。

昨年暮れにお約束した“明るく楽しい写真を探して” 今年も毎週金曜日の配送は約束できそうです。よろしくお願い致します。

*写真便り作成は「ボケ防止の最良の対策と心得て頑張っています。

  *2014620日から がん治療後の「生きている証拠として」始めて6年半…

 

【本人近況】

 10年前発病時“余命ウン月と宣告された「ガン(食道ではじまり胃に転移し放射線・抗がん剤4回

投与で押え込んだ後 腹部・背3ケ所開く8時間かけたオペも終え、更に抗がん剤投与3)の2年間

治療入院・通院中もパソコン枕元に対応しながら何時の間にか“仕事”を(写真便りも)

殆ど休まず10年が過ぎました。

幸運なことに 今は定期検査も問題無く過ごしています

 

目下、命に係わりそうな病気は目立たないのですが、80+ウン歳にもなるとウィズコロナ対策補聴器使用、若い頃からの変形性膝疾患の影響で「歩き五百㍍毎に一休み…」な状態ですが、幸い治療終了直後から続けた下肢の筋肉強化の“ステッピングマシン”、“電動アシスト自転車一日20301週間80㎞目標の実行により 大過無く生活しています。

 

80歳でコンサル仕事廃業。 自動車免許返上も悔いは全く有りません。

 家族には 「竹馬歩き(膝への負荷を極力おさえてユックリ歩く姿)と吹聴し‥おまけ人生を気楽・気ままに暮らしています()

 

  *写真撮影は ①手賀沼のサイクリング/遊歩道での撮影東京で所用ついでの“シェアー自転車”で目的場所に立ち寄りパチリが主なものです

後はウン10年間のストック映像の2度使いしない配慮でカバーしています。

 

【閑話休題】

今年は昨年以上に「コロナ被病」「在宅勤務」「離職」など何が起こるか分かりません。そんなときは誰かとリモートで会話するだけでも気分転換になります

この「写真便り」BCC連絡なので貴兄と山ケンの1:1発行のお便りみたいな情報{メンバーは全国に約80名です、が)です。貴兄の返信は他のメンバーには見えません何かの折に写真・内容に関係なくボヤキでも、なんでもよいのでメール返信を使って下さい必ず対応します

 

では、今年も写真便りのスタートです・・・

 

山ケン