2020年11月27日金曜日

11/27 晩秋の日比谷公園

 







336

20201127

 

晩秋の日比谷公園

 

日比谷公園は今 紅葉/黄葉の真っ盛り、なのに人影が有りません。

“三密”回避はこんな所にも?

 

3361 紅葉と 黄葉競う 鶴の池

   *日比谷公園「雲形池」の鶴の噴水は、明治38年頃東京美術学校(現在の

東京芸大)の津田信夫、岡崎雪声さんに依頼製作したもので、公園等での装飾用噴水としては、日本で3番目に古いものとのことです。

 

 

336-2 池の端 諸手にもみじ 見栄をきる            

    *池周りの道端一杯に 大見栄をきっているのに観衆は…

 

336-3 小春日の ベンチに木陰 ながながと

*昼食後の日比谷公園 穏やかな晩秋なのに誰もベンチに居ません

 

336-4 もみじ葉の ラストダンスは 空に舞う       

*まさにフィナーレです、その後は・・・

 

“フォト俳句”の駄作羅列でスミマセン

少しセンチになったもので 花石「化石ではありませんヨ 山ケンの俳号です」(笑)

 

山ケン

2020年11月22日日曜日

11/20 【江戸城新シリーズ5】 火除けの守り神 鯱(しゃちほこ)






 


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20201120  

【江戸城新シリーズ5

火除けの守り神 (しゃちほこ)

 

先々週(333)「大手門」で紹介した鯱のように、江戸城の遺構で現存(復元建造物も含む)する櫓(やぐら)屋根の大棟には必ず鯱が雌雄で(火事の)睨みを利かせています。

*鯱は、織田信長が安土城1576:天正4を建てるとき 始めて中国の「瓦葺屋根大棟の両端につける飾り鴟尾しび)」を真似て 魚虎しゃちほこを“火除けの守り神”として天守閣の大棟に飾った。

それ以来各地の城主たちの“城造りの慣例”になったと伝えられ 江戸城でも踏襲された。

 

3351 名古屋城の“金の鯱鉾(又は鯱)

徳川家康が江戸幕府の「天下普請(1603年:慶長8)」に並行し、1615(慶長20)、東海道の要所 名古屋に「天下人としての威厳を見せつけるため」に造った天守の飾りが金の鯱鉾でした。

 *慶長大判1,940(金の総重量:215.3kg)も使った豪華な鯱鉾になった。 

 

335-2 江戸城 富士見櫓の鯱

  富士見櫓*の鯱は、創建1606(慶長11)。明暦の大火で焼失、1659(万治2)に再建され、明治維新で江戸城が皇居になった後は鬼瓦を菊の紋章に換え現存している。

*① 現存する江戸城の櫓の中で唯一の三重櫓、万治二年の再建以降は天守の替わりになっていた。

 

335-3 江戸城 清水門 渡櫓門の鯱

  創建は不明だが扉金具に残る刻印から1658(万治元年)に建てられた事が分かり、建立年代の判明した江戸城の遺構として 桝形門と周囲の状態も当時と変わらずに 往時の雰囲気を残す門です。大屋根は補修されているが鯱・鬼瓦も徳川の紋のまま昔の姿を残しています。

 

335-4 桜田門の鯱と菊の紋章

  「桜田門外の変」の桜田門の鯱と菊の紋章。関東大震災で一部が破損 改修され,鬼瓦は新製、鯱は昔のまま使われた。

 

3355 浮世絵「諸国名所百景“名古屋”」“金の鯱鉾”

  鯱は、龍(虎とも)の頭、胴体は魚 体に鋭いトゲ。江戸時代の書に「鯱は口から水を吐き、火を消す力」を有し寺院や城郭では本堂や天守など重要な建物に火除けの守り神として飾った。

 

山ケン

2020年11月15日日曜日

 






今月は三の酉迄あります。「三の酉の冬は“火事が多い”」と昔の人が言っています。 明日14日は「二の酉」。 お互いに “3密”にならないように留意して熊手の購入にどうぞ・・・

 

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20201113

天体写真

天体写真撮影が好きです。が、最近は本格的に撮影する気力がなかなか湧きません。

そんな訳であまり努力しない撮影ストックからの素材です。

自動車と言う機動力が無くなって自転車生活になり早朝・日没後の撮影移動は気力が必要なので考えてしまいます。でも…トライするのは楽しいものです…まだまだ…

 

3341  朝焼けの日の出

 空気の揺らぎで大気中水分の影響が出て…深紅の朝焼け!

   撮影;2015111日 65分  手賀沼中央大橋

 

334-2  真っ赤な太陽

 日没時のほんの一瞬 こんな映像が出来ました。

   撮影;2016621日 1843分 手賀沼サイクリング道路

 

334-3  月、金星、火星

 快晴の日没 月と金星、そこに火星が並んだ! 

このような機会は簡単に巡り会えないと思いカメラをセット、時を待っての撮影。金星のななめ左下の小さな点(⇒の先)が火星です。

 金星と月のみの撮影は見かけ軌道が重なる機会が多く面白い映像ができるのですが、予定日になると忘れてしまい良い写真が撮れません。  

撮影;201712日  1721分 手賀沼河畔 

 

334-4  月のクレーター

 満月のクローズアップは結構迫力があります。冬、大気が澄んだ日の撮影です。

 暗く見える月の海の右上の小さく光るクレーターが目 影全体がウサギで、何かを手に持って食べている姿 に見えませんか? 「月に“兎”が居たのです!

 

 この手の撮影は自宅ですからまだまだ大丈夫です()

   撮影;2016年124日  2212分 レンズ⇒2000㎜ 柏市自宅

 

山ケン




2020年11月6日金曜日

11/6 江戸城“大手門”

 






333

20201106

  【江戸城新シリーズ4

  江戸城大手門

 

 大手門は参勤交代の大名などが徳川将軍に拝謁する正規な登城門です。

 *現在は“皇居東御苑”の入り口の一つになっていて一般公開されています。

 

3331 大手“高麗門・渡櫓門”

1607(慶長12、築城の名手藤堂高虎によって築かれ、1620(元和6伊達政宗酒井忠世達によって桝形門になり、1657(明暦3明暦の大火で全て焼失。1659(万治2)に再建された。

 

333-2 大手 渡櫓門

だが、286年後1945(昭和20)戦災で渡櫓門のみが再度の焼失。

1966(昭和41)高麗門などの修復に合わせ渡櫓門を再建、ようやく現在の姿になりました。

 

3333 (しゃちほこ)

 この鯱()は昭和20年戦災で渡櫓門の焼け跡に残っていたもので 現在は桝形門中の植え込みにひっそりと展示されています。

刻印に「明暦三 丁酉」(丁酉=ひのと とり)とあり、1657(明暦3の明暦の大火で焼失した後1659(万治2に大手門が再建されたときのものと推定できます。

現在の渡櫓門の鯱()との比較で胸鰭(むなびれ)が無いことに気付きました。

 

333-4 登城

 全国300もの大名ほか諸侯は この大手門から入城し、“下乗橋(現在は埋め立てて無い)”前でお付きの供を待たせ“下乗門(石垣一部現存)”をくぐり、“百人番所”前を通り “中の門(石垣のみ現存)”を通過、“大番所”で最後の確認を受け、

“多聞*”で完全に囲われた本丸御殿の“中雀門(石垣のみ現存)”に入る。

大名は大手門から数百mは一人 供無しの登城になるのです。

江戸城は戦のない平和な時代にはそぐわない程 警備が厳重な城でした。

*① 多聞;城壁・石垣の上に造られた長屋風の建物。中には武器などの他

 城で必要な品物の収納庫です。

 

山ケン