322
20200821
孤高の画家“高島野十郎”について
高島野十郎は以前NHK「日曜美術館」で見て「写実的なのに
心に残る不思議な絵」で興味を持ったことを思い出した。
322-1史跡保存庭園
家から2km程のお寺さん前の旧家 広い屋敷内の林の一部が柏市に貸与され“史跡保存庭園”になっていた。そこが高島野十郎の終焉の地だと偶然分った。
彼は1936年(昭和11)上京後も ひたすら“写実的 (だが心の光のような)絵画”に没頭し続け・・・1971年(昭和46)、知人(柏市増尾の旧家)の屋敷内離れの藁屋根小屋を借りアトリエにして作画生活を続けていた。既に80歳も過ぎていた。
322-2高島野十郎
東京帝大農学部を1916年(大正5)首席で卒業後、兄弟らの援助で渡欧、ルネサンス期のレオナルド・ダ・ヴィンチ、ミレーなどに感銘を受け
絵を描き始めた。1933年(昭和8)帰国後久留米の実家の酒蔵をアトリエに改造「椿柑竹工房」と名付け
何所の画壇とも付き合わず 誰にも師事せず 独り制作に没頭した…
322-3アトリエ跡地
知人の庭にはアトリエは既に無いが、生涯独身の彼はこの地で“晴耕雨読”ならぬ“晴耕雨描”ともいえる日々を累々と積み重ねていたのです。
322-4 代表作品 連作“月”
連作の“月”、“ろうそくの炎”(502-2左)は彼の“心の光”だったのでは・・・
322-5 絶筆“すいれん の池”
没後5年が過ぎて1980年(昭和55)、福岡県立美術館が「近代洋画と福岡展」開催、有名画家に混じり無名の野十郎の作品1点「すいれん の池」が展示された。
担当学芸員の西本匡伸さんはこの絵に強烈な印象を覚え、彼は散逸した作品76点を集めて回り、「高島野十郎展」を開催、注目を集めた。その後NHK「日曜美術館」で放映 全国的に知られるようになり、2008年(平成20)再度NHKで取り上げられ
俄然脚光を浴びた。
今年は生誕130年、各地で予定の展示会が「コロナ過」で中止に…残念です。
山ケン