2020年8月21日金曜日

8/21 孤高の画家“高島野十郎”について






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20200821

  孤高の画家“高島野十郎”について

高島野十郎は以前NHK「日曜美術館」で見て「写実的なのに 心に残る不思議な絵」で興味を持ったことを思い出した。

 

322-1史跡保存庭園 

家から2km程のお寺さん前の旧家 広い屋敷内の林の一部が柏市に貸与され“史跡保存庭園”になっていた。そこが高島野十郎の終焉の地だと偶然分った。

 彼は1936(昭和11)上京後も ひたすら“写実的 (だが心の光のような)絵画”に没頭し続け・・・1971(昭和46、知人(柏市増尾の旧家)の屋敷内離れの藁屋根小屋を借りアトリエにして作画生活を続けていた。既に80歳も過ぎていた。

 

322-2高島野十郎

 東京帝大農学部を1916(大正5首席で卒業後、兄弟らの援助で渡欧、ルネサンス期のレオナルド・ダ・ヴィンチ、ミレーなどに感銘を受け 絵を描き始めた。1933(昭和8帰国後久留米の実家の酒蔵をアトリエに改造「椿柑竹工房」と名付け 何所の画壇とも付き合わず 誰にも師事せず 独り制作に没頭した…

 

322-3アトリエ跡地

知人の庭にはアトリエは既に無いが、生涯独身の彼はこの地で“晴耕雨読ならぬ“晴耕雨描”ともいえる日々を累々と積み重ねていたのです。

 

322-4 代表作品  連作“

 連作の“月、“ろうそくの炎(502-2)は彼の“心の光”だったのでは・・・

 

322-5 絶筆“すいれん の池

没後5年が過ぎて1980(昭和55)、福岡県立美術館が「近代洋画と福岡展」開催、有名画家に混じり無名の野十郎の作品1点「すいれん の池」が展示された

担当学芸員の西本匡伸さんはこの絵に強烈な印象を覚え、彼は散逸した作品76点を集めて回り、「高島野十郎展」を開催、注目を集めた。その後NHK「日曜美術館」で放映 全国的に知られるようになり、2008(平成20再度NHKで取り上げられ 俄然脚光を浴びた。

今年は生誕130年、各地で予定の展示会が「コロナ過」で中止に…残念です。

 

山ケン

2020年8月15日土曜日

8/14 わが家正面玄関の衛府(えふ)“左近・右近”が完成





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わが家正面玄関の衛府(えふ)*左近・右近”が完成

 

 「左近の桜・右近の橘」のように恰好良くありませんが、長年懸案の庭道楽の一つ“正面エントランス”の左・右の要が何とか形になりホットしています。

 これも外出自粛と言う「コロナ過」のおかげです。

 

 *;衛府(えふ)⇒奈良・平安時代、宮中の警備をつかさどった役所の総称

 

321-1 わが家の“左近

 “左近衛府 (さこんのえふ)には二か月前に仕上がった「ビオトープふうメダカ水槽」。

ご覧のとおり水注ぎ口周辺の苔や草が今まさに“夏”を謳歌しています。

親水槽の中の成魚メダカ池(右側)は木陰が出来て涼しそう、写真手前の稚魚池のメダカたちは未だ写真に写るほど大きくならないが元気に泳ぎ回っています。

稚魚の種類(現在3)・育った状態(孵化後日数差の大きさ違い)による「攻防戦・共食い、与えた餌の食べ方」が少し落ち着いてきて 縄張りも匹数も安定しました。

 

最近は予算を出し渋ったわが家の“財務相”もご機嫌になり 日に何度も稚魚メダカの元気な泳ぎを眺めに来ます()

 

321-2 “右近

右近衛府(うこんのえふ)”には10数年かけて仕上げた庭用の盆景”。

この盆景は屋外での使用を考え、長期に亘り基礎作業に時間をかけました。

海の部分は水抜けが良く、さらに 雑草が生えなくなるまで10年程かけ整備。

陸地部分は“サナダゴケ”と言う苔を敷いて 苔の乾燥負けを防ぐため水抜けが少ない粘土質の土を使い「半湿地帯ふう」に仕上げた。

こんな面倒な作業をしたのは「手入れ簡単・雑草が生えない」が狙いでした。

 

321-3 “参道”俯瞰

 “山ケン宮”参道(?!) の俯瞰です。“宮”の建屋はボロで見せませんヨ()

 左近・右近の大きさの違いは勘弁して戴くとして「 なんとなく治まる場所に収まった」と自画自賛しています。

 

山ケン 

2020年8月8日土曜日

8/7 「お寺さんは今どうしている?」




 


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 「お寺さんは今どうしている?

           【前回の神社報告に続き仏教寺院編です】

口減少 老人化が進む日本、“お寺さん”はどうしているのだろうか。国の統計では仏教寺院数 77,256(2016)信者数は8,770万人を超えています。

そのほとんどの実態は 統計上の信者数とは関わりなく「自覚が無いまま 生活様式や季節の行事して生活している」のでは・・・

近くの神社の宮司さんも「最近引っ越して来た人達は“氏子檀家”も全く意識なく住んでいますね」と、ため息混じりで言っていました。

 

3201 柏のお寺さん

東京のベッドタウン柏市にも59(2019)ものお寺さんがあります。

このお寺さんは家から1km程の住宅地、創建1639(家光の時代)の寺院です。

ここの歴代住職は大変な教育熱心で、江戸時代の「寺子屋」を明治になって即刻「学校」に。現在も小学生への法話用に「“四天王代わりの怪獣の像」を置いたりして頑張っています。 経営もしっかりしている様子でした。

 

320-2 福島南会津の小さなお寺さん

 この写真のお寺さんは檀家約240人、奥さんとの自給自足で頑張っています。実は山ケンの実家も高崎でこのお寺さんと同じ宗派だったことから「ひょんな機会で知り合い」昨年から準檀家的な付き合いをはじめ、たまたま令和元年度の会計決算書を見せていただきました。

一般会計決算の収入は檀家からの1300.8K\だけで、支出は本山割180K\、除雪植木剪定等“環境整備450K\、“各種保険260K\などで全て消えていました。大きな費用は、檀家の了解と浄財の拠出を願いその都度の特別会計です。

 

320-3 特別会計の使い道

 昨年度は境内の仏堂(子安観音、日除け観音、延命地蔵)屋根改修415.8K\参道拡幅245.6K\ 総本山“長谷寺”修復分担24.5K\を檀家協力で行った。

 

320-4 檀家共同納骨供養塔 

 この塔も特別会計で“檀家共同納骨供養塔”として2年ほど前に建てた。

これが山間部の小さなお寺さんの実情でした

 

山ケン

2020年8月1日土曜日

7/31 「神社って今どうなっている?」 その2






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神社って今どうなっている?」 その2

 

3191 水の神さま

  東遷で河道が変わった利根川・手賀沼の度重なる水害に悩まされ 恐れていた1764(明和2年)、村人たちが建てた手賀沼の“水神さま”。245年間と言う長い・永い年月続いた手賀沼の治水事業もようやく終りになった平成、水質改善工事も終わってこの場所に引っ越してきた水の神様です。

しめ縄鳥居も無いただの石造りだが当時の村人たちにとって大切な信仰の記憶が今もこうして残り 時々供物が添えられています。

 

319-2 神さまが宿るところ

日本人は倭国(わこく)と言われた昔から“自然(場所・現象)祖先”などに対する“恐れ・敬い・祈り”の信仰心を育んできた。

人々は“太陽・岩・森・滝”などに「神さまが宿っていると信じ都度 祭壇などを構えて祈祷する場所神社の始まりになった。

良い例が奈良県にある「三輪山 大神神社(おおみわじんじゃ)」です。

山そのものが“神さまの居場所で神殿などは無いが 山全体が神域として人は住むことがなかった。

その証として今も“鳥居のみ”が残っています。

                                                   

319-3 現存する最古の神社建築

 国宝“宇治上神社”、20042月の年輪年代測定調査結果から1060頃のものと分かり「本殿が現存最古の神社建築」であることが裏付けられた。

この神社の建立目的は すぐ隣にある平等院(1052年 創建)の末社としての“鎮守”だった。

 

319-4 神仏習合

 明治の“神仏分離”になるまでは寺院・神社は“神仏習合”が普通で「摂社・末社・末寺」など“社寺の分身”を境内・周辺地に数多く建てた。柏市にも 歴史ある“福満寺”と言う寺には100柱を超える末寺(仏堂含む)・末社が現存している。柏市の社寺は2019年調査では、(末寺・末社を除き)神社50社・仏教寺院59」がありました。

 

山ケン