2020年2月22日土曜日

2/21 記録と記憶







296
20200221

記録と記憶

先輩に誘われ奥秩父金峰山*①へ登山してきた。62年前の1958(昭和33)正月元旦のことです。それまで冬山は近くの谷川岳周辺のみで その日が初めて自分の「縄張り」を飛びだした遠征だったのです。
今週の写真は全て写真と言う記録により“手がかり”や“誘導”された記憶メモです。
 【今回はそんな記憶を呼び起こすために保存しているアナログ写真アルバムからのデジタル
コピーを使いました。】
*①:山梨/長野県にまたがる金峰山(標高2,599m)の山頂にある五丈岩は遠くからでも見える
名山。周囲360度の視界に富士山をはじめ 八ヶ岳、南アルプスなどが望見できます。

296₋1 金山有井館にて
金峰の頂上まで数キロの山小屋(金山有井館は現在もあります)での一泊は少し興奮気味だったが、先輩が何か書きことをしている姿から「万年ベレー帽の明るい笑顔の“T”さん」の記憶が蘇えりました。彼には大変世話になりました。

296-23 1958年元旦の金峰山頂
山頂の五丈岩を見たときは何故かすごく感動したはずですがやはり瞬間の記憶は定かでなく、帰宅後の現像フイルムからの“ベタ焼き*②を見たときの喜びが思い出され、寒さを忘れルーペを見つめていました。
   *②写真フイルムを拡大などせずにそのまま印画紙に焼き付けたもの。

296-4 初見参の富士山
 この時まで富士山を見たことが無かった山ケン撮影の初めての富士山です。
 富士山は今でも機会があれば必ず撮影する尊敬の山です。

「皆さんもデジカメ/スマホなどで古いアルバムを撮り直して見るといいですネ。記録から新鮮な記憶が蘇えってくるでしょう。」

山ケン


2020年2月14日金曜日

2/14 白梅咲く湯島天神







295
20200214

白梅咲く湯島天神

295・1 受験シーズン
徳川家康が江戸入城以来崇敬していた“湯島天神”は 江戸中期 八代将軍 吉宗の幕政改革の最中、「富籤(とみくじ)」が盛んになり庶民の間で“江戸三富の湯島天神”と親しまれたそうです。
が、今では“富籤的当たりを願う”のか “菅原道真にあやかりたい”のか 受験生親子で大賑わいでした。

295・2 夕日に染まる湯島天満宮*①
 泉鏡花 “婦系図 湯島の白梅”映画 挿入歌「湯島通れば思い出す…知るや白梅玉垣に…」、天神さんの白梅の玉垣は今日も夕日に輝いていました。
受験生たちに 「この輝きが見られると良いネ」と心でお願いしました。
 丁度 孫たちも同い年なので(笑)

 *①“湯島天神”は2000年(平成12)に「神社」から「天満宮」に格上げに
なりました。

295・3 境内の梅
 境内には約300本の梅木があり その約8割が白梅だそうです。

295-4 名所江戸百景「湯しま天神坂上眺望」
 湯島と上野は大変近く手前の根岸の街並から 不忍の池 辯天島、寛永寺本坊も見えています。 
この坂(山ケン推測 ⇒方角的に上野不忍池が見える“天神女坂”でしょう)に来ると「…玉垣にのこる 二人の影法師」の歌詞が思い出されてこの絵が脳裏に浮かんできます。
 でも今は 女坂からの不忍の池はビルの陰で全く見えませんでした。

 *湯島天神には“男坂”もあり、坂が少し南向きで不忍の池と方角が違います。

山ケン

2020年2月7日金曜日

2/7 ランの花





294
20200207

ランの花





来週214()21()は 東京後楽園ドームにて“世界ラン展”です。
独特な姿の花 ラン科は大変美しく 観賞用のものは世界に700属以上15000、日本に75230あると言われ それらの中から毎年膨大な種類が展示されます。花好きには欠かせない展示会でしょう。
今年はひざ痛が心配でまだ決めていませんが昨年までは“写真材料”探しで毎年複数回通っていました。

294₋1、2
 昨年“世界ラン展2019”を観賞したときの「個性溢れるランの姿が大好きな山ケン選の“ユニーク リップ(唇弁)コンテスト”」では ①3517番⇒“優雅 ”②3532番⇒“ユーモア”でした。
 今年もこの展示会には素晴らしいリップが出展される筈なので何とかひざ痛を我慢しても行きたいものです。
【注】このコンテストは正式な展示会審査とは全く別物で山ケンの個人道楽です()   
*リップ(唇弁)⇒ランに固有な花弁⇒294₋34参照ください

294₋3、4
今までは蘭の講釈は省いたのですが、今回は3と4に解説を入れました。
「説明って煩わしいですか?」

194₋5
 ラン展では 花そのものより いろいろデコレーションした芸術作品が沢山出展され魅力満点 鑑賞を楽しめますので、どうぞ・・・

ですが、写真便りは「今まで個人的な お友達への私信」と割り切り綺麗な作品を掲載したのですが、今回からそれらは「作者個人の作品情報」と考え 「写真便り」の対象から外し掲載は花そのもの”に限定します。ゴメンなさい。

山ケン

2020年2月1日土曜日

1/31 都心に残る江戸初期の大名上屋敷庭園「小石川後楽園」








293
20200131

都心に残る江戸初期の大名上屋敷庭園「小石川後楽園

2931 築地塀・案内図
東京ドームのすぐ隣、この築地塀の中には7万平方メートルを超える広さの「水戸徳川家上屋敷の庭園」が残っています。
1629(寛永6年)水戸徳川家 水戸藩初代藩主・徳川頼房が作庭家・徳大寺左兵衛に命じて江戸上屋敷に築いた庭園で、その後二代藩主光圀(1661年、二代を継ぐ:水戸黄門さん)が改修し、中国 宋時代の漢詩 登岳陽樓 (岳陽楼に登る)から『(為政者は)天下の憂いに先んじて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ』を引用し「後楽園」とした。
明治になって政府の管理になった。
 昭和27庭園が国宝級と認定され「特別史跡及び特別名勝」になった。
既にそのとき日本三名園の一つになっていた岡山の後楽園との識別の為に「小石川後楽園」と命名した。

 *岡山の後楽園;岡山藩主・池田綱政の命で1687から手掛け1700(元禄13
)完成当時は御後園」と言われていた。
これを1871(明治4 廃藩置県後)後楽園」と改めた。
(多分)この改名は 担当者が 東京に水戸徳川家後楽園の名が既に
あると気付かず か、あるいは無視して 決めたのでは!
小石川の後楽園の方が岡山より早く 当事者光圀命名したのに
(資料調査で感じた) 山ケンの苦言的コメントです()

293-23 冬景色の庭園
 小石川後楽園は”“などの季節には大勢が来園するのに 冬は静かで あまり人も来ず大名庭園を満喫できる場所なので楽しくなります。

 ここは電車の駅も近く 冬は樹木の雪つりなど風情も豊かです。
散策にどうぞ・・・

山ケン