2016年5月28日土曜日

5/27 庭の草花たち








山ケン【山田賢次】です。このmailはBCCでお送りしています。
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画像・本文に気付き点などがありましたら このmailに返信お願い致します。

今週のテーマ  庭の草花たち

五月、猫の額ほどの庭は風、鳥などで運ばれてきた草木の種があるじの意思に関係なく
発芽して楽しい花を咲かせ、“花スタジオ”に早替わりします。
「何せ材料費/出張費を掛けず写真が撮れるので大助かりです(笑)」

101-1 ニワゼキショウ
玄関アプローチの片隅に数年間(意識的に)一切手を掛けずに放置した
60㎝プランター3基には、入れ替わり立ち代わり色々な雑草(山ケンには貴重な被写体)
が花を咲かせてくれます。
ニワゼキショウは花の直径1.5㎝ほどの可愛らしい花で、
3日程で花団子(左の玉状)になります。

101-2 今年は30本ほどに増えたシラン
バックにある ひねた木は樹齢30年の楠です。
実はこの楠は35年前に日比谷公園で拾ってきて庭に蒔いた種が数年後発芽し、
大木にならないように毎年高さ選定しながら30年経ったものです
根本の直径10㎝を超え 高さ1.5m程です。

101-3 スノーフレーク
空き地に咲いていた一輪を鉢植したのが元で大増殖、
毎年のように球根を間引くのですが頑張って咲きます。
和名:スズランスイセン⇒ヒガンバナ科 球根類

101-4 マルバシャリンンバイ(丸葉車輪梅)
10年ほど前に発芽に気づいたときはツバキかな?と思い大切に見守っていました。
4年前、花をつけたので ようやく名前が分かり大喜びです。

101-5 *先週の100₋1訂正画像
これが吾妻橋下を行くホタルナ号です。

先週(100号)掲載写真を間違えていました、写真は「HIMIKO」でした。
すみません! 訂正画像を掲載いたします。

今回はBCCメンバーのKKさんからのご指摘で誤掲載が判明しました。
「KKさん有難うございました」。

どなたでも今後気づき点がありましたら返信方よろしくお願いします。

山ケン

2016年5月21日土曜日

5/20 隅田川スケッチ







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今週のテーマ 隅田川スケッチ

東京オリンピックを前に 隅田川を東京の都市交通の
一つとして利用する計画がスタートしました。
水上バスやタクシーなどの実験運用が始まっています。
隅田川は東京の交通インフラとしてこれからさらに賑やかになりそうです。

100-1 スカイツリーとホタルナ号
隅田川では定期運航船ホタルナ号などが旅行者に結構な人気がありいつも満員状態で
す。

100-2 こんな光景も
カーチェイスならずボートチェイスですかね!
水上も交通安全を考慮しないといけません。

100-3 水上タクシー
未だ乗船したことはありませんが、こんなビジネスも実験運航を始めました。

100-4 仕事待ちです
夏は納涼船、春はお花見に大変な賑いになるのですが、今はのんびりとカモメのお遊
び場所です。

100-5 僕は掃除担当です
東京都では掃海船を使って毎日隅田川や下町水路のお掃除です。
「皆さん 川でもポイ捨ては止めましょう!」

山ケン

2016年5月15日日曜日

5/14 水族館撮影







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今週のテーマ;水族館撮影

水族館で写真を楽しみましょう。
水族館に行くと魅惑的な水中の光景に ついカメラを向けたくなります。
そんな時のヒントです。

水族館は大変暗いうえに透明アクリル、ガラス越しの撮影になるための注意が肝要で
す。

①暗い背景をさらに暗く目的物が目立つように撮影しよう⇒露出補正をマイナスに

②撮影者の映り込み、見学通路の照明反射を避けるカメラ位置を工夫しよう
 ⇒できればレンズフードをガラス面に密着させて撮影すると余分な光が写らなくな
ります

③露出補正機能のないデジカメでの露出補正は
⇒画面の中の一番明るい部分を中央にしてシャッターを半押しし、
撮りたい画角に戻してシャッターをきると目的物が適正慮出になることが多いです

でも、何も対策しないでも楽しい画像ができます。
余分なことを気にせずにパチパチやりましょう⇒メモリは無くなりません

山ケンも良く同じ被写体を2~30枚撮影して後から自分のイメージに合ったものを
選びます(笑)

山ケン

2016年5月12日木曜日

5/6 永代橋は二度も落橋・炎上事故に








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今週のテーマ;永代橋は二度も落橋・炎上事故に

98-1 橋脚の高い大橋の永代橋
永代橋は、元禄11年(1698)5代将軍徳川綱吉の50歳を祝して架橋。
江戸城下では千住大橋、両国橋、新大橋についで4番目の橋です。
ここは海からの多数の廻船が通過するために橋脚は満潮時でも3m以上あり
当時としては未曽有の規模の大橋だった。

橋が出来てから20年、江戸幕府は吉宗の主導した財政安定化のための
“享保の改革”により新大橋と共に廃橋を決めた。
が、ここも町民衆の嘆願により、橋梁維持に伴う諸経費を町方が
全て負担することを条件に存続を許された。
町方は自主的に通行料を徴収し維持に務めた。
でも、お侍さんは“ただ渡り”だったそうです!

98-2 落橋事故
十一代将軍徳川家斉時代 文化4年8月19日 (1807年9月20日)、
深川富岡八幡宮の12年ぶりの祭礼日に詰め掛けた群衆の重みに耐えられず
落橋事故を起こす。群衆が次々と押し寄せては転落し、
死傷者・行方不明者を合わせると実に1400人を超え、
史上最悪の落橋事故と言われた。

太田南畝(おおた なんぽ)の狂歌です。
「永代とかけたる橋は 落ちにけり きょうは祭礼 あすは葬礼」

*太田南畝【(おおた なんぽ 号:蜀山人)寛延2年(1749)~文政6年(1823)
当時の文人で狂歌三大家の一人】

98-3 日本初の鉄橋 再び災難に
事故後補修を続けながら運用、維新を迎えるころには相当傷みがひどくなった。
明治30年(1897)になって ようやく道路橋としては日本初の鉄橋を
現在の場所に架橋した。
しかし、橋底に木材を使用していたため、関東大震災の時に
多数の避難民とともに炎上し、多くの焼死者、溺死者を出してしまった。


98-,4現在の永代橋完成
大正15年(1926)、震災復興事業の第一号として現在の橋ができた。
「震災復興事業の華」と謳われた清洲橋に対して、「帝都東京の門」と
言われたこの橋は 現存する最古のタイドアーチ橋で
日本では最初に径間長100mを超えた橋でした。

90-5 永代橋と東京スカイツリー
今も健在な永代橋は2007年に勝鬨橋、清州橋と共に国の重要文化財になりました。

山ケン