2016年6月25日土曜日

6/24 日枝神社 神幸祭(しんこうさい)







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今週のテーマ ;日枝神社 神幸祭(しんこうさい)

・日枝神社山王祭は徳川三代将軍家光以来、「天下祭」として
江戸城に入御した御神輿を、歴代の将軍が上覧拝礼する盛大な神事
日枝神社から
・御鳳輦(ご ほうれん:天皇専用の乗り物)二基
・宮神輿(みや みこし)一基
・山車五基が、王朝装束に威儀を正した宮司を中心に禰宜(ねぎ)巫女たちと
お城に入御し、将軍の上覧拝礼後 町に出て氏子区域を巡るのです。

・現在の日枝神社では、この行幸(御幸:ぎょうこう)を
「神幸祭」として3年毎に祭礼行列を再現しています。

山王祭は江戸三大祭りの一つでありかつ京都八坂神社の祇園祭、
大阪天満宮の天神祭と共に日本三大祭りに数えられています。


105₋1 山王祭 神符献上
今はお城(皇居)に入御せず坂下門にて駐輦(ちゅうれん:車を止め)し、
日枝神社宮司が 神符の献上及び参賀を行います。

105₋2 日枝神社を発って町中を行く神幸祭旗
総勢500人、長さ300mの列が市中を往く王朝絵巻が圧巻です

105₋3 神符献上役宮司
日枝神社の宮司が神符献上役です。

105₋4 和田倉門前を行く
江戸時代は和田倉門から入御し将軍の上覧拝礼を受けたのですが、
明治以降は坂下門前で行います(105₋1)。

105₋5 神符献上を終え市中に繰り出す諫鼓鳥
諫鼓(かんこ)鳥を乗せた鼓が先導する。
諫鼓⇒【君主に対して諫言(かんげん=いさめる)しようとする民
鼓を打ち鳴らさせるために門前に備えた大鼓:中国の故事】

105₋6 町へ繰り出す御鳳輦
御鳳輦と宮神輿が行列の中央を往きます。

山ケン

2016年6月17日金曜日

6/16 写真便り2周年記念 ファンタジー“銀河そして星






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皆さんお早うございます。

写真便りも6月で2年です。このBCC会のみなさんも70名になりました。

余命「ん!ケ月」と言われた食道、胃癌も2年間の治療が終わり。
そして5.5年経過しました。
今は体力知力も維持、写真便りをライフワークに続ける元気が増しています。
ありがたいことです。今後もさらに精進いたします。


今週のテーマ ;写真便り2周年記念 ファンタジー“銀河そして星”

星の輪廻転生 こんな画をパソコンで想像しました。
作曲家ホルストの組曲“惑星”から「金星-平和の神」を聴きなが
ご覧いただけたら本望です。

104-1  星のゆりかご
160億光年の宇宙、そこには数千億個の銀河があり、
銀河には数千億個の星があります。
銀河のほぼ中央は 星のゆりかご なのです。

104-2  褐色矮星
褐色矮星(かっしょくわいせい;brown dwarf:褐色の小人)
と言われる小さな星があります。
質量が小さく太陽のような恒星にもなれず
木星型惑星にもなれない小さな褐色の原始星です。
この星はガスが縮む際のエネルギー放出と、
初期の重水素による核融合反応が起きたときの余熱で高温になり、
赤外線を放射していることが特徴で、
表面温度は低く800度から2500度程度の星。
現在25個発見されています。

褐色矮星の全質量は銀河や宇宙の質量や重力を考える上で
無視できない可能性があると
暗黒物質の正体の候補の一つに挙げられ研究されています。

104-3  星の終演
星(恒星)は核融合連鎖により いずれ巨大化、そして崩壊します。
いわゆる超新星爆発です。

104-4 星の誕生
宇宙のゆりかごではひんぱんに超新星爆発がおこり
飛び散ったチリがまた集合して星を創ります。
悠久の輪廻転生・・・

山ケン

2016年6月10日金曜日

6/10 手賀沼 鳥スケッチ









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今週のテーマ ; 手賀沼 鳥スケッチ

鳥の撮影は冬から早春にかけての楽しみです。
鳥写真のキーポイントは「目」です。
特別な目的(他の鳥とバトル中とか、上空飛行中など)以外では
目にピントを合わせることで安心して見られます。

103-1 餌の争奪戦
子供が投げたパンの耳をオオバンが確保 それをユリカモメが襲う瞬間です。
カモメは大変強引に食べ物を捕ってしまいます。

103-2 北に帰る日が近いカンムリカイツブリ
カイツブリの仲間で一番大きなカンムリカイツブリの♂です。
全長56㎝位で、夏になると冠羽が兜の飾りのようにV字型になります。
♂だけに生える冠毛が今少し長くなるころに北の繁殖地に帰ります


103-3 ここは縄張りだよー
初夏、手賀沼周辺では畑の畦でオス雉の縄張り宣言が聞こえてきます。
羽を大きく振って高らかに「ここは僕の場所だよー!」と鳴いています。
「雉も鳴かずば…」のとおり、外敵に狙われそうです。

103-4 警戒中のオス雉
でも、巣の近くでは決して鳴きません。
このオス雉は近くにメスが抱卵中の巣があるので静かに見張りです

103-5 葦の中の虫の幼虫を探すエナガ
エナガ(スズメ目エナガ科)はスズメよりずっと小さく尾羽が長く
日本でくちばしが一番短い可愛い小鳥です。

体形が 長い「柄」が付いた姿から江戸時代には「柄長柄杓」と呼ばれたようです。
手賀沼には早春、旅の途中 小集団で数日間栄養補給をして繁殖地に向かいます。

山ケン

2016年6月4日土曜日

6/3 江戸時代に民営有料橋の誕生







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今週のテーマ;江戸時代に民営有料橋の誕生

 吾妻橋は江戸で5番目の橋として十代将軍徳川家治(宝暦10年:1760~天明6年:
1786)
のときに 浅草花川戸の町人伊右衛門と下谷竜泉寺の源八の嘆願が幕府によって許可
され架橋した。

102-1 初めての民営有料橋 吾妻橋
着工後5年、安永3年(1774)に完成した初めての民営有料橋で武士以外から2文
(当時の2文≒40円)の通行料を取った記録が残っています。
架橋から12年後、天明6年(1786)の洪水で永代、新大橋が流され両国橋も大きな被害
を受けたが
吾妻橋は無傷で残り、架橋した大工奉行たちが褒賞を賜ったと言われています。

102-2 隅田川最初の鉄橋
その後何度か架け替えられ、最後の木橋は明治18年(1885)7月の大洪水で 流れてき
た千住大橋の
橋桁が橋脚に衝突し共に流失。2年後 明治20年(1887) 隅田川最初の鉄橋として架橋
された。
人道橋、鉄道(市電用)橋、車道橋の3本が並行していた。

*写真は浅草側から対岸を撮影、 対岸はアサヒビール工場で、現在はビルの屋上に
金色の炎のオブジェがあるので有名です。

102-3 火災で焼け落ちた橋底板の張り替え作業
大正12年(1923)の関東大震災で焼け落ちた木の橋底板の補修工事写真です。

102-4 現在の吾妻橋
昭和6年(1931)、現在の橋に架け替えられました。

江戸は隅田川の架橋により “大川向う”が著しく発展し1700年~1800年頃は百万人
を超え
ロンドン、パリを抜き世界一の都市になっていた。橋の存在は益々重要だったが、
寿命の短い木の橋が幕府・新政府にとってはお荷物だったようで手付かずの状態だっ
た。
明治も過ぎ 関東大震災を境に ようやく 鉄・コンクリートの橋として今の姿になっ
たのです。

隅田川の橋は現在千住大橋から下流側に18 あり、今年中には勝鬨橋の下流に築地
大橋が完成。
19橋になって都市交通インフラの重要性がますます増しています

山ケン