2019年4月27日土曜日

4/26 【平成の記憶】









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20190426
【平成の記憶】
 平成時代は「バブル崩壊」「消費税」「(異常降雨など)地球温暖化現象の表出」「自然災害多発」の30年でした。
しかし「戦争のない平和な生活」が続いたことが 戦中生まれ 齢いくばくもない老人の至上の喜びです「平成は幸せな時代でした」。

2531 平成元年  消費税      3
2532 平成9年  同上       5
2533 平成26  同上       8
2534 平成31 10%で新時代へ引き継ぐことに・・・

2535 平成24年「平成の東京ランドマーク:東京スカイツリー」
工事中(平成23)に起こった東日本大震災にも充分耐えた“東京スカイツリー
東京のランドマークに

2536 平成15年「災害に強い超高層ビル完成:六本木ヒルズ」
 “六本木ヒルズ(写真右のビル)平成7年の“阪神・淡路大震災”による「都市災害の実態(調査)と、日本に進出予定中の米国保険会社の要求BCP*①の実現」に応えて 「日本で初めて“BCP”を具現化した高さ238mの超高層ビル」になった。
そして8年後の平成23東日本大震災”の激しい揺れに 六本木ヒルズではコーヒーカップさえもテーブルからずれ落ちなかった! 
また 同時に全域で起こった計画停電にも影響されず 仕事は途絶えずに“BCP”の重要性が実証されたのです。 *写真;2006(平成18)1231724 ©KEN

* BCP(Business continuity planning);“事業継続計画六本木ヒルズは「事務所・店舗・共同住宅・ホテル・美術館・映画館・テレビスタジオ・学校・寺院・駐車場などがあり 多くの人が生活している一つの街ですそのために地震・火災などビル全体の災害時の生き残りシステムとして、ビルの耐震化の徹底(多重化)電源系は通常受電と、コジェネレーション(cogeneration:電熱供給システム)の採用、さらに自家発電まで付加した三重の冗長化システムにより 東日本大震災時の都会パニックを避けることができたのです。

山ケン

2019年4月20日土曜日

4/19 平成の思い出 東京ランドマーク“スカイツリー”と下町スケッチ







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20190419

平成の思い出 東京ランドマーク“スカイツリー”と下町スケッチ

下町からはどこからでもスカイツリーが見え、そこに生活がありました。


2521 仲良く下校

2522 子供が帰った校庭では

2523 公園の午後

2524 下町っ子カモメ

山ケン

2019年4月13日土曜日

4/12 隅田川カメラ散歩







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20190412

隅田川カメラ散歩   昭和の遺産 勝鬨・永代・清澄橋が重要文化財に 
 隅田川にかかる橋はその多くが 大正12年の関東大震災後の昭和初期に帝都復興事業の象徴として建造され、橋は堅固で燃えない鋼鉄橋になった。

251-1 重要文化財になった勝鬨・永代・清澄橋
“勝鬨(カチドキ)橋・永代橋・清洲橋”の3橋が2007年4月に国の重要文化財に指定永代橋は「帝都東京の門」清州橋が「震災復興の華」と言われ 形が対照的な構造で美しい橋です。
*後から二つの橋の間に出来た隅田川大橋を画像から消すと構造の対象性
が分かります⇒写真

251-2 勝鬨橋
日露戦争の旅順攻略戦に勝利したことを記念して「勝鬨」と名づけられ、昭和8年に着工、1940(昭和15) 年に完成。
長さ246m、幅は22mで、船を通すため橋の中央が約70度開閉する隅田川唯一の二葉跳開橋だった。
鉄鋼製の橋梁で、二つのアーチの真ん中が開閉します。
昭和43年までは1日5回開閉を行い、約20分間 船を通していたが、
現在は大きな船の通過もなくなり開くことはありません。

251-3 永代橋
1926(大正15)年、震災復興事業の第一号として現在の橋が「二度と燃えない橋」として再架橋。
ドイツの鉄道橋をモデルにした現存最古のタイドアーチ橋で日本では最初に径間長100mを超えた橋です。

251-4 清州橋
1927(昭和3)年 世界でも美しい橋として知られていたドイツライン川に架かるケルンの大吊橋をモデルとして完成。
平均橋梁建設費単価が一番高額で当時の平均の約3倍、総鋼量を4,460トンも使った 他に比べ特出した橋です。

山ケン