240
20190125
上野界隈散歩シリーズ
第九話 博物館庭園散策
庭園には林間に再現された江戸時代の茶室などが点在し
屋内展示と違った日本の自然が待っていました。
*茶室は茶会のため貸し切り開放日があり
好日 賑わっているようです。
240-1 六窓庵
六窓庵は徳川家光・家綱時代(慶安年間:1648~1652)に奈良
興福寺慈眼院に“八窓庵(奈良国立博物館に移設現存)”と共に建てられ大和の三茶室と言われた歴史ある数寄屋(小規模な茶座敷)。
1877年(明治10年)に奈良国立博物館から譲られ上野に、第二次大戦中は解体保管され、1947年(昭和22年)現代の数寄屋造り名工
木村清兵衛によって現在地に復元された。
240₋2 転合庵
江戸初期の近江小室藩主(1万2千石)大名茶人
小堀遠州(1579~1647)が京都伏見の六地蔵に建てた茶室、その後寂光院に移築されていた。
その寂光院より1963年(昭和38年)に寄贈され現在地に復元した。
240₋3 春草庵
江戸商人
川村瑞賢*1(1618~1699)が淀川治水工事の時建てた休憩所だった。その後持主が何人か替わり1948年(昭和12年)寄贈され、1959年(昭和34年)現在地に復元移築された。
*1
江戸時代前期の商人(瑞軒,随軒とも記)、伊勢の貧農の出。
江戸に出て材木商を営み
明暦の大火の時 木曾山林の木材の買占めを行い
巨富をなしたという。1670年以降
幕命により 東廻りおよび西廻りの廻米
航路を開拓、さらに淀川治水のため新安治川を開く。後に旗本になった。
240-4 応挙館*2
1742年(寛保2年)尾張国の天台宗寺院
明眼院(みょうげんいん)の書院として建立。明治になって品川の益田孝(旧三井物産設立者)邸に移築。その後1933年(昭和8年)寄贈され現在位置に移された。
*2 応挙館;室内に描かれている墨画は1784年(天明4年)丸山応挙(1733~
1795)が明眼院に眼病で滞留していた際に描いたもの。2007年(平成19年)襖
絵などと共にデジタル画像処理と印刷技術を駆使した複製が完成し
制作当
時の絵画空間が応挙館に再現されています。
山ケン