2019年1月26日土曜日

1/25 上野界隈散歩シリーズ 第九話 博物館庭園散策








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20190125

上野界隈散歩シリーズ

第九話 博物館庭園散策
庭園には林間に再現された江戸時代の茶室などが点在し 屋内展示と違った日本の自然が待っていました。
*茶室は茶会のため貸し切り開放日があり 好日 賑わっているようです。

240-1 六窓庵
六窓庵は徳川家光・家綱時代(慶安年間:16481652)に奈良 興福寺慈眼院に“八窓庵(奈良国立博物館に移設現存)”と共に建てられ大和の三茶室と言われた歴史ある数寄屋(小規模な茶座敷)
1877(明治10)に奈良国立博物館から譲られ上野に、第二次大戦中は解体保管され、1947年(昭和22年)現代の数寄屋造り名工 木村清兵衛によって現在地に復元された。

240₋2 転合庵
 江戸初期の近江小室藩主(1万2千石)大名茶人 小堀遠州(15791647)が京都伏見の六地蔵に建てた茶室、その後寂光院に移築されていた。
 その寂光院より1963年(昭和38年)に寄贈され現在地に復元した。

240₋3 春草庵
 江戸商人 川村瑞賢*1(16181699)淀川治水工事の時建てた休憩所だった。その後持主が何人か替わり1948(昭和12)寄贈され、1959(昭和34)現在地に復元移築された。
*1 江戸時代前期の商人(瑞軒,随軒とも記)、伊勢の貧農の出。
江戸に出て材木商を営み 明暦の大火の時 木曾山林の木材の買占めを行い
巨富をなしたという。1670年以降 幕命により 東廻りおよび西廻りの廻米
航路を開拓、さらに淀川治水のため新安治川を開く。後に旗本になった。

240-4 応挙館*2
 1742(寛保2)尾張国の天台宗寺院 明眼院(みょうげんいん)の書院として建立。明治になって品川の益田孝(旧三井物産設立者)邸に移築。その後1933(昭和8)寄贈され現在位置に移された。
 *2 応挙館;室内に描かれている墨画は1784(天明4)丸山応挙(1733
1795)明眼院に眼病で滞留していた際に描いたもの。2007(平成19)
絵などと共にデジタル画像処理と印刷技術を駆使した複製が完成し 制作当
時の絵画空間が応挙館に再現されています。

山ケン

2019年1月19日土曜日

1/18 第八話  日本で初めての公園







盲腸(虫垂)のオペが終了しました。
入院17pm、オペ実施9日、そして4日後の113pm退院帰宅。
今回の開腹オペで「80歳超老人の実質入院日数6日間
は癌研東病院で記録的短さだそうです。
今回の手術は 8年前行った食道と胃の噴門部に出来た“扁平上皮癌”の「変態転移も考えられる」と言う癌研東病院のリコメンド方針は虫垂部のみ切除でなく「開腹し、腹腔鏡で監視しながら虫垂のある右側結腸部を全切断摘出・縫合」するものでした。
手術の前後4日間 固形物を一切飲食できない状態でのオペでしたが 何とか81歳の体力で持ち堪えられ、失血も少なく1.5時間で終了。上手く行ったようです。 
最終細胞検査結果は未だですが「ほぼ100%良性だった
とのDr 発言にホッとしました。

本日の帰宅は流石に自転車では無理でタクシー利用でした()。これも週刊写真便り発行継続のための努力です。
閑話休題!  ―写真便りを続けます―

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20190118
上野界隈散歩シリーズ” 今回から明治・昭和の記憶を探す散歩です。

第八話  日本で初めての公園

239-1上野恩賜公園
 八代将軍吉宗時代の東叡山寛永寺寺領は堂塔30予、子院36坊もある当時最大級の大寺院で現在の上野駅・鶯谷周辺を含む広大な敷地だった。
1870(明治3)、上野戦争で焼け野原になった山を視察したオランダの軍医アントニウス・ボードウィンが「公園として残すよう
日本政府に働きかけ、1873(明治6)に日本初の公園に指定された。
 
239₋2 日本最初の博物館
 1881(明治14) ジョサイア・コンドル(神田ニコライ堂などを手掛けた明治政府の“近代化プロジェクトのお抱えコンサルタント的建築家”)の設計により製作 上野で開催された第2回内国勧業博覧会の展示館として使用された後、翌1882年(明治15年)3月から博物館の本館として使用開始。
 1923(大正12)関東大震災で大破して使用不能になった。

239₋3 現在の東京国立博物館本館
現在の本館は着工から6年かけ1938(昭和13)開館した。 日本伝統の木造建築を鉄筋コンクリートに置き換えた形と技術の和洋折衷建築となっている。
展示室は12階に計26室あり、中央の大階段を取り巻いて「ロ」の字状に展示室が配置されていて 日本の絵画、彫刻、工芸、書などが展示されています。

239-4 明治が色濃く残る庭園
本館の裏側出入り口を出ると 寛永寺本坊時代からの池を囲んだ林の自然風景になる。現在は林の中に江戸時代の歴史的に有名な茶室や建造物が各地から移築されていて 散策する人が時空を超えタイムスリップしたような気分になれる庭園です。
 この庭園は春(2ケ月程度)/(1ケ月程度)一般公開されます。
 その中の幾つかを次週紹介します。

山ケン

2019年1月6日日曜日

1/6 手賀沼 冬の水鳥









今回は都合(年甲斐もなく“盲腸切除”入院)により 早めの1月6日に発行させていただきます。なお239号 20190118は場合により12日程遅れる可能性があります。ご勘弁ねがいます。
 2380 日食 速報です。

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20190111

手賀沼 冬の水鳥

冬鳥の撮影は 今まで車移動だったが、免許返上した今は 寒風の中を自宅から往復20㎞以上の 自転車による撮影行です。結構辛いですが湖畔の観察には最適です!これも体力・気力維持のための努力・・・()

ここ数年 手賀沼にミコアイサが渡ってくるようになりました。

238-1ミコアイサ♂
和名“ミコ”が付いたのはオスの羽衣が巫女の白装束のように見えることからだそうです。でも山ケンは「パンダ」を想像してしまいます。

彼らはユーラシア大陸亜寒帯のタイガで繁殖し、越冬のため九州以北に飛来します。
北海道で少数が繁殖している情報があるのですが・・・
手賀沼に飛来する個体が北海道産か/ユーラシア大陸産かは特定出来ません。

238₋2ミコアイサ♀

238₋3ミコアイサつがい

238-4ミコアイサ離水

山ケン