2018年11月30日金曜日

11/30 上野界隈散歩シリーズ 第四話 東叡山寛永寺 その3 「旧寛永寺遺産」







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20181130 
上野界隈散歩シリーズ

 第四話 東叡山寛永寺 その3 「旧寛永寺遺産


232-1 旧寛永寺五重塔 
1631(寛永8年)、江戸幕府の老中で、後に大老となる土井利勝(どいとしかつ)の寄進により「上野東照宮の塔(現在の呼び名:旧寛永寺五重塔)
*1として創建された。しかし 1639年(寛永16年)の春 花見客の過失によって焼失してしまい、現在の五重塔はその年のうちに再建されたものです。
 塔が出来て380年、 幾多の大地震にも耐えたのは “柔構造建築”のおかげです。

 *1東照宮の五重塔が寛永寺の管理になったのは明治政府が1868(慶応4年)に“神仏判然令「神社内にある仏像(この中に五重塔も含む)・仏具・経典などの排除令
神仏分離”の結果です。現在は上野動物園管理。

232₋2 時鐘堂
花の雲 鐘は上野か 浅草か」松尾芭蕉が聞いた鐘の音は1666(寛文6)に出来た初代のものでしょう。現存の鐘は1787(宝永4)製造です。

今も毎朝夕6時と正午に鳴り響いている時鐘堂の“時の鐘”の管理は寛永寺です。

232₋34 上野大仏
1631 (寛永8年)越後 村上藩堀直寄漆喰釈迦如来坐像を建立。
1658 1661万治年間)遊行僧 浄雲が金銅像として再興。
その後、正保、安政、関東大震災と幾度かの地震、軍需金属供出など 受難続きで ついに顔面だけになった上野大仏さんです。
今では「合格大仏」と言われ お参りする人が絶えません。

山ケン


2018年11月23日金曜日

11/23 上野界隈散歩シリーズ







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20181123 
上野界隈散歩シリーズ

 第三話 東叡山寛永寺  その2 戦乱に耐えた建造物

231-1 旧本坊表門
旧中堂の裏手にあった“本坊表門”は上野戦争で奇跡的に砲弾があたらず明治を迎えた。明治になってそのまま国立博物館正門としていたが 館増設の都合により当時空き地だった現在地に復元移築した。

2312 清水観音堂
上野戦争では被害はなかった。 1868 (慶応4)515日 彰義隊はこの付近に集結していた。

2313 上野寛永寺黒門
上野広小路に進出対峙していた薩摩藩士が寛永寺総門の「黒門」前で 午前7時半頃宣戦布告。観音堂下の彰義隊士たちと激戦になった。
午後5時には彰義隊は ほぼ全滅 戦闘が終結した。

2314 寛永寺 その2
千住 円通寺は現在のJR南千住駅近くです。

山ケン


2018年11月17日土曜日

11/16 第二話 東叡山寛永寺  その1







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20181116 
上野界隈散歩シリーズ

 第二話 東叡山寛永寺  その1 

230-1東叡山寛永寺(とうえいざん かんえいじ)
現在の東叡山寛永寺は上野の東京芸大の裏にあり ひっそりとして訪れる人も少ないお寺です。
が、この寺は徳川将軍家の祈祷所・菩提寺徳川歴代将軍15人のうち6人もの霊廟がある名刹17世紀半ばから皇族が歴代住職を務め、日光山、比叡山をも管轄する天台宗の本山として強大な権勢を誇っていたのです。
 現在の根本中堂は以前寛永寺の子院・大慈院があった敷地に、明治12年(1879年)川越 喜多院(天海大僧正の寺院だった)の本地堂を移築した質素なものです。

2302 根本中堂内陣
外観に比べ 内陣は大変豪華な造りで 中央の大きな厨子に安置されている本尊釈迦三尊像は 平安初期に造像されたものです。ここに根本中堂を建立するにあたり近江の石津寺(せきしんじ)から迎えられたもので“秘仏”になっています。
              *この内陣撮影は特別に許可を貰いました。

2303 初代歌川広重「東都名所 上野東叡山全図」
*東叡山寛永寺最盛期の姿を初代歌川広重が画いています。
開基(創立者)は徳川家光、開山(初代住職)は天海で本尊は薬師如来です。
 1625(寛永2年)家光が創立を決断、今の東京国立博物館の場所に本坊(貫主の住坊)が建立された。
その後、1627(寛永4年)には 今は焼失した“法華堂、常行堂、多宝塔、輪蔵”、現存する東照宮など建立。 1631(寛永8年)には清水観音堂、五重塔が建立された。
寺の中心になる 根本中堂(間口45.5m、奥行き42m、高さ32mの大伽藍:焼失)が落慶したのは開創から70年以上経った 1698(元禄11年)、五代将軍徳川綱吉の時でした。

2304上野戦争 旧寛永寺図
上野戦争は、慶応4年 江戸城無血開城が成立した後、徳川に“義”を示す過激派“彰義隊”が結成され 上野寛永寺境内に籠もり新政府軍と寛永寺各門で対峙した。
慶応4515日午前7時 雨の中 新政府軍 薩摩藩の宣戦布告により三方からの戦闘が開始。
佐賀藩のアームストロング砲・四斤山砲*1の攻撃などにより根本中堂をはじめ主要な堂宇は焼失 壊滅的打撃を受けた。午後5時に戦闘は終結した。彰義隊はほぼ全滅、生き残りが根津方面に落ちていった。

上野のお山は明治になって新政府に接収され 公園、学校などが造られた。

1;①アームストロング砲⇒幕末に佐賀藩が保有していた最新の後装施条
砲で精度が高い。1855年イギリスで開発され佐賀藩は長崎のグラバー
邸を仲介して輸入した。
  ②四斤山砲(よんきんさんほう)⇒フランス製(青銅製)の山砲(現在の迫
撃砲のような小型砲)で、四斤(4㎏)の砲弾で威力が強い。

山ケン


2018年11月9日金曜日

11/9 紅葉の季節になりました







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20181109 
 紅葉の季節になりました

立冬です、柏市の気温は東京(都心から30)に比べて平均2度程度低くなります。定点観測場所が利根川に近く影響されているためです。

229-1 アメリカフウ並木
アメリカフウは別名“モミジバフウ(紅葉葉楓)”とも言うそうです。
柏の市街地はアメリカフウの並木が多く初冬の紅葉景色が楽しみです。
この道を真直ぐ行くと日立()公園。山ケンの家もそこにあります。

229₋2 初冬の公園 
昔、この公園の隣に日立本社社宅と寮がありました。
今はそれらが無くなって子供たちの遊ぶ姿がありません。寂しいものです。

229-3 朝の楽しみ
でも お天気の日は町内のお年寄グループの楽しみ場になります。

229-4 柏弁天
紅葉もそろそろ本番。
これから「花鳥風月カメラマン」は忙しい季節です。

山ケン

2018年11月2日金曜日

11/2 キッチンの花







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20181102 

キッチンの花

わが家のキッチン出窓は戴きものの花が主人公になります。
静物写真撮影スタジオに化けるのです。

228-1 母の日 息子たちの贈り物

228₋2 お隣の庭から クリスマスローズ

228-3 紅白のトルコキキョウ

228-4 純白のカサブランカ

山ケン