2016年12月31日土曜日

12/30 浅草浅草寺 歳の市






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今回が2016年最後の写真便りです。

今週のテーマ;浅草浅草寺 歳の市

11月に酉の市が終わると師走の浅草は益々大忙しです。

浅草寺の“歳の市”は江戸時代両国橋(当時の名は大橋)が
架けられたころ(万治2年:1659) からと言われています。

羽子板は文献によると室町時代「正月に羽子板を用いた」と記述があり
当初は羽根突きの道具として用いられたが
徐々に「厄払い、魔除けとして正月に女性にあげる習慣」ができたようです。

飾りの華やかさから 境内の屋台で取り扱われる品は羽子板が主流になり、
浅草寺の歳の市は“羽子板市”として発展してきたのです。

今では、浅草寺の歳の市は 羽子板市となっています。


132₋1 浅草寺境内は歳の市で大賑わい

毎年12月17日から境内に羽子板を中心に縁起物を商う店が50軒余り、
3日間の市は大変な賑わいで師走の名物風景になりました。

132₋2 江戸時代からの定番歌舞伎ものから

元禄時代 全盛を極めた歌舞伎役者などを形どった押絵羽子板が大流行、
羽子板はますます豪華になっていったようでした。

132₋3 時の人気者

そうして 時の人気者が登場するようになり・・・

132₋4 イヤー!人気絶頂

今年の目玉は何と言っても世界中で流行中! 凄いものです。

山ケン

2016年12月24日土曜日

12/23 草 酉の市








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暮れの下町はいろいろな行事があります。その中の一つ“酉の市”です。

今週のテーマ;浅草 酉の市

後期江戸時代 下町人気一番の「酉の市」が浅草の鷲神社(おおとりじんじゃ:神道)と
同じ境内にある酉の寺長国寺(とりのてらちょうこくじ:仏教)が社寺合同で開かれていました。

江戸時代 本当の人気の訳は、祭礼の日は境内の東隣にある「新吉原」が解放され 粋な旦那衆の
本音はそこにあったのでは・・・!?

酉の市はもともと関東地方に所在する鷲や鳥にちなむ社寺の年中行事でした。
神道と仏教では由来が異なっていますが 神道では
その昔大鳥神社(鷲神社)の祭神である日本武尊が東征の戦勝の
お礼参りをしたのが“11月の酉の日”で、
社前の松に武具の“熊手”を立てかけたことが始まりと言われています。

131-1 大賑わいの神社前

今年の二の酉(11月2回目の酉の日)は勤労感謝の日で久しぶりの参詣でしたが
休日のため大変な人出で境内に入るのがやっとでした。

131-2 両手に熊手の旦那さん

縁起ものの“飾り熊手”の店は境内だけで50軒あまり、露天商は数えられないほどの賑わいです。
大きな飾り熊手2本に顔を埋めた旦那さん お参りの後は「行きつけのお店に贈り物ですか?」

131-3 江戸時代の縁起熊手

このお祭りは、もともとは今の足立区花畑にあった“大鷲明神(おおとり明神)”の
近在農民の秋の収穫祭が発端と言われ 農機具の熊手と豊作を喜ぶオカメが縁起物だったようです。

131₋4 酉の寺長国寺

酉の寺長国寺の説明によると
仏教での酉の市由来は 鷲妙見大菩薩の開帳日に立つ“市”が起源で、
明和8年(1771)浅草の長国寺に鷲妙見大菩薩が勧請された11月の酉の日に
開帳されるようになったとのことでした。

131-5 今年の想定外!

今年はなんといっても想定外の“プレジデント トランプ”!
来年からの日本はどうなるのでしょうかネー・・・

山ケン

2016年12月16日金曜日

12/16 カメラ散歩 銀杏色が似合う都電








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 *129号の配信で一部の人に添付ファイル抜けがあり、ご連絡で再送いたしました。
  原因は不明ですが、今後もファイル抜けがありましたら ご一報ください。
  よろしくお願いします。

今週のテーマ:カメラ散歩 銀杏色が似合う都電

東京都の樹は銀杏です。
たった1路線になった都電、黄葉した銀杏の街路樹が似合う風景を撮ってきました。

130₋1 思い出の都電カラー

昔 都電は車体が黄葉した銀杏色、シンボルマークが緑の銀杏の葉で
盛期には40路線(昭和37年:1962)も走っていました。

でも今は早稲田から箕輪までのたった1路線です。

130₋2 電車カラーは変わっても 良く似合う銀杏

銀杏の街路樹の停留所で黄葉を見ていたら・・・小さい頃の記憶が

学習院下で乗車

130₋3 出発!

動き出したときの加速感が心地良く
窓の外を無心に眺めている銀杏色の子供になったような気持ちに・・・

130₋4 木枯らしが吹くまでは主人公の銀杏

木枯らが吹き出すまでの街の主人公銀杏は 路線のあちこちを秋色に染めていました

130₋5 都電は人にやさしいです!

おばあさんが過ぎるのを待って徐行する都電
日暮が近い下町の風景は のどかな初冬の一日でした。

山ケン

2016年12月10日土曜日

12/10 コブ白鳥のコミュニケーション







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今週のテーマ:コブ白鳥のコミュニケーション

「Mute Swan(英名);唖の白鳥」と言われているとおり
コブ白鳥は普段は 声を出しません。

彼らは声に頼らず体でコミュニケーションします。
 “尻振り⇒「好意、了解」”“首で頷く⇒命令、指示”、
“羽ばたき⇒次の行動に移るトリガー( きっかけ)”が主なものです。

コブ白鳥の成鳥が声を出すのは
威嚇、警戒のときの“喉なき(息を出すときの喉の低周波振動音)”だけです。
ひな時代は“ピヨ、ピヨ”から成鳥に近くなるとアヒルに似た低い声を出します。


129₋1 朝のミーティング (この写真のみ昨年の7月3日号既掲載)

この家族は子供が育って4ケ月目、そろそろ飛行訓練するころです
家族が集まって朝のミーティング中です。
前列で横向きのメス親がこの日 行動の主導権を発揮しているところです。
オス親は既に子供が育ったため別行動(夜のみ別居!)が多く、
朝帰りで 家族と合流後はメス親の指示に従っています。

129₋2 親の真似

誕生5週目、
ひなは親の羽ばたきの“指示行動”を真似て行動するようになっていました。
了解の尻尾を振り、羽ばたき、そして親の後を追いかけて行きます

129₋3 「おはよう」

ペアーが営巣、育児中は、独身ものや 子なしカップルは
営巣場所の縄張りから離れ、集団を作り群で生活します。
朝は相性が合うオス、メスで挨拶を交わし合い行動を共にしているのです。

129₋4 「母さんのやることを確り覚えるんだぞ」

オスが大きく首を振って命令し、メスと子供は尾を小さく左右に振って応えた。
一人っ子(一羽っ子!) はなかなか親離れしないのですが、
朝帰りのオス親の言うことは絶対です。
オスはこの後再び別行動(ほとんどが自分の縄張りのパトロール)です。

山ケン

2016年12月5日月曜日

12/2 紅葉の日比谷公園











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今週のテーマ:紅葉の日比谷公園

11月29日お昼時 仕事の合間の回り道です。
日比谷公園は広葉樹が多く紅葉/黄葉の時期が最も美しい風景になります。
12月初旬ならまだ間に合います。どうぞ・・

【日比谷公園の歴史】
江戸城日比谷御門のすぐ外に位置し、江戸時代には錚々たる大藩の上屋敷が置かれ、
明治になると大名屋敷が廃されて更地となり、日比谷ヶ原と呼ばれた。
明治18年(1885)日比谷練兵場と改称された。
明治26年(1893)に東京市が軍から払下げを受け、正式に日比谷公園と命名。
明治35年(1902)4月 漸く着工、翌年6月1日に仮開園。
本開園のときに洋風喫茶店松本楼、和風喫茶店三橋亭(現パークセンター)、
結婚式場高柳亭(現日比谷パレス)、洋風レストラン麒麟亭(現レストランなんぶ)、
植木店などが出店し、現在も多くが健在です。

日露戦争に勝利すると、献木が盛んとなり樹木が充実した。

127₋1 明治43年竣工のドイツ・バンガロー風の建築
献木には武蔵野に多く自生していた“欅(ケヤキ⇒埼玉県の県木)”が多く、
現在は大木になり建物と欅の風格が出てきました。

127₋2 鶴の池
開園の時設置された公園の装飾用噴水(東京芸大 津田信夫 岡崎由紀声作)は
戦時中の金属回収で台座のみ献納しセメントになったが、
本体は健在で今も来訪者を楽しませています。

127₋3 紅葉真っ盛り
日比谷公園は、常緑樹に混じった広葉樹がバランスよく欅のしぶい黄葉と違った
 鮮やかな楓の紅葉、銀杏の黄葉も楽しめます。

127₋4 滑り台だヨー!
周辺のビジネス街の保育園児には楽しい公園です。

山ケン