2017年5月27日土曜日

5/27 カメラ散歩“江戸城の門”







今週のテーマ;カメラ散歩“江戸城の門”

徳川家康が江戸城に入って 慶長6(1603)より大規模な改修に着手、
秀忠、家光と受け継がれ 32年後 寛永13(1635)
外郭・内郭の総構(そうがまえ)が完成、名実ともに日本一広い城になった。

その内郭(内堀の中 現在の皇居と皇居前広場:写真1535)には13の虎口(城門)があり、
現存する田安門、清水門、外桜田門が“桝形門(ますがたもん)
として往時を復元維持、重要文化財として一般に開放されています。 

153-1田安門の“桝形門”

桝形門は外敵が第1の門“高麗門(写真右側)”を入ると
正面と左側を高い石垣に進路を阻まれ 第2の門“渡櫓門(わたりやぐらもん)”に
向かうために直角に曲がらないと攻め進めない構造になっている。
この四角形が“米桝”に似たことから桝形門と言われています。
江戸城構築では城造り名人の藤堂高虎が責任奉行として
造った虎口をすべて実戦に適した桝形門にしたようです。


1532渡櫓(わたりやぐら)

櫓門の扉、柱は 当時の石火矢(いしびや:大筒の古い呼称)では
破壊できないくらいの頑丈なもので、上部の渡櫓には随所に矢()座間があります。


1533石火矢造り職人作の肘坪

頑丈で重い扉を支える巨大な鉄の肘坪*(ひじつぼ)
「寛永13*閏(うるう)9月吉日 
九州豊後住人 御石火矢大工 渡邊***作」と刻印が残っています。
江戸城の総構が完成の年に石火矢職人の渡邊さんが
九州からやって来て巨大な肘坪を造った記録が残っていました。

肘坪;昔から社寺などの扉に使われている“壺”に似た形の金具2つを
突き合わせ 中に金属棒を通して肘のように回せる金具(丁番と同じ働きをする)


1534櫓門の扉

江戸城は、鉄で覆われた閂(かんぬき)、潜戸(くぐりど)に至るまで
容易に壊せない作りの実戦型城門で、地震、火事に何度も遭遇しながらも
明治になるまで一度も戦をせず寛永13(1635)の“総構え築城”から233年間
そして平成29(2017)の今日に至る 幸せな城でした。


1535皇居周辺航空写真

現在の皇居付近の航空写真です。
皇居東御苑は大手門・平川門・北桔梗門が 月、金曜日以外一般公開され
御苑内部の散策ができます。
近くに寄られたときの散歩にどうぞ・・・

山ケン

2017年5月20日土曜日

5/19 手賀沼のコブ白鳥近況







今週のテーマ;手賀沼のコブ白鳥近況

手賀沼コブ白鳥観察18年目、いい加減に卒業しよう思いながら
季節が巡って来ると目はコブ白鳥の行動をフォローし、メモを採ってしまうのです。

観察を始めた翌年の2000年には営巣は確認したものの ヒナは1羽も生まれなかったのが
昨年(2016)は営巣確認11、確認できた雛誕生41羽にもなった彼らの姿が
目の奥に焼き付いていて 仕方ないのです。

1521 白鳥が群れを作る季節

手賀沼に生活する白鳥は立春の頃になると 縄張りを守るペアーを除き
昨年生まれの子供や繁殖能力に達して巣を持てなかった成鳥や流れ者が群れをつくります。
ここでペアーが成立すると新しく営巣場所を探し、ペアーになって生活の縄張りをつくります。

2017312日のカウントでは写真の群れが38羽、例年の営巣場所11か所にペアー22羽、
群れに入らない流れ者が4羽 合計64羽を数えました。

1522 一年の始まり

今まで連れ添ったペアーはその日がどんな日か知っていたかのよう
突然愛の振る舞いをはじめた。
一年がスタートするのです。

一度ペアーになったコブ白鳥は(観察の範囲では)一夫一婦制を守っていて
よそ者とペアーになることはないようです。

1523営巣が始まる

ペアーはその日から共同で枯れ蒲や葦の茎を嘴でちぎって数日かけ巣を作り、
やがてメスは産卵、抱卵、誕生、子育てへと長い一年が続くのです。
その間 巣の近くで過ごすオスと、縄張り境界線付近でパトロールをするオスと個性が出ます。

この手前のオスは巣から200mより遠くには行きません。常にメスの近くで過ごしています。

1524 堰堤脇のこんな所にも営巣

中には営巣に適さない場所で巣を作ってしまうペアーも、
この巣は43週の春の嵐で巣が浸水、ついに昨年に続いて抱卵放棄。
今年は営巣放棄ペアーが目立っています・・・・

*コブ白鳥の縄張り⇒オスが年間を通して食物と飼育場所確保のため、
巣の周囲の“ある範囲”をテリトリーとして守る。
ある範囲は、手賀沼では今まで湖岸の距離で200400m程度だったが
最近はかなり狭くなって営巣場所難になってきました。


山ケン

2017年5月14日日曜日

5/12 東京カメラ散歩“新緑の六義園”







今週のテーマ東京カメラ散歩“新緑の六義園”

山手線駒込駅から5分の“六義園(りくぎえん)” は関東大震災、
東京大空襲でも被害が少なかったため 緑豊かな貴重な場所でした。

観光ガイドには掲載されない新緑の風景を探しに歩きました。

1511藤代峠からの大泉水俯瞰

高さ35mの築山 藤代峠のベンチからの風景です。

六義園は五代将軍綱吉(16801709)の側用人柳沢吉保が下屋敷として
造園した典型的な「回遊式築山泉水庭園」(87,800)す。

明治になって著しく荒廃していたのを岩崎弥太郎が購入し別邸にした。
その後 弟の彌之助が受け継ぎ
弥太郎の好んだ「広大な規模で仙石樹木の“自然の風致”」にするために
樹木数万本を移植 庭石など各地から運び配置して景観を復興、
さらに弥太郎の息子久彌が往時の「つつじ茶屋」など建造物を配置
柳沢吉保時代の栄華を再現した。

1512つつじ茶屋

震災、戦災にもあわず唯一残ったつつじ茶屋は
新緑の中でひっそりとしていました。

1513裏路を行く

大泉水の広大な表の風景とは趣を変え林の中は小道が張り巡らされ
自然の姿が都会の喧騒から解放してくれます。

1514桃の茶屋(心泉亭)

桃の茶屋(現心泉亭)など建物の多くは弟の彌之助が
熱海の別荘から移築したものだそうです。

【エピソード】
明治38(1905)10月 六義園で岩崎家が日露戦争から凱旋した
連合艦隊司令長官東郷平八郎と将兵6千人を招待、
大戦勝祝賀会を催した と記録がありました。

庭園は昭和13(1938) 息子久彌が東京市に寄付し、
昭和28(1953)年国の特別名勝に指定されました。

山ケン

2017年5月6日土曜日

5/5 鯉のぼり





今週のテーマ; 鯉のぼり

今日は端午の節句、
鯉のぼりを探して家の周辺を自転車で3日間69km走り回り
ようやくカメラに収め、この写真便りに間に合いました。

「ヒマだなー!」「でも毎日の運動ですから」・・・
「それにしてもなぜ こんなに鯉のぼりが少なくなったの?」
「・・・・・」

1501鯉のぼり

5月になればごく普通に見られる景色と思って気楽に探しに出たのです。
ところが・・・
新興住宅、団地、鎮守の森隣りの小さな集落などひたすら回ったのですが、
1日目は団地のベランダに屋内用の小さな鯉のぼりが1つ!

3日目朝 家から2kmほど、いままで通ったこともない小さな集落で
やっとこの写真に巡り合えました。
「よかった!」

1502鯉のぼり2

満開のツツジと鯉のぼり ようやく“ホット”する“フォト”になりました。

1503公園の鯉のぼり

探索二日目 何ルートも走り回ってから「市の公園に行けば」と思い立ち
その日午後2度目の探索行、日暮近くになってこの写真が撮れました。

「もう帰らないと父さんに叱られるヨ!」
お母さんの声がレンズにも入ってきました。

山ケン