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20210402
公園になった “元牧士(もくし)”だった 豪農古民家
江戸時代 河川改良の大工事“東遷(写真便り307掲載)”により旧江戸川の上流で流れを変えた新利根川と江戸川にはさまれた“下総台地*①北西部”には“小金牧”と言う幕府直轄の広大な“牧(馬の放牧地で“ナポレオンから送られた馬も 放牧されていた)”があり、馬の管理者を牧士(もくし)と言った。
*①⇒千葉県の代表的地形名で県央部から北西部まで張り出した大きな台地。
今週の写真便りは “元牧士(もくし)”の古民家で、子孫の吉田家が保存していた母屋を柏市に寄贈、公園として公開したものです。
354₋1 長屋門のある正面口
江戸時代 大名が自分の屋敷の周囲に 家臣などのための長屋を建て住まわせその一部に門を開いて、一棟としたのが長屋門の始まりです。
その後 郷村武士家格の家や、苗字帯刀を許された富裕な農家・庄屋などで長屋門が造られるようになり
明治以降流行した。
354-2 母屋
吉田家は1826(文政9)年 牧士になり四代にわたり牧の経営に関わった。母屋は1853(嘉永6)年に建てた木造平屋建て寄棟造り茅葺き(かやぶき)です。
354-3 室内 間取り図
書院は母屋と同年建造の木造平屋建て寄棟造り桟瓦葺き*②(さんかわらぶき)です。
*②⇒屋根が重くなる本瓦葺きの弱点対策として、平瓦と丸瓦を一体化させた波型の桟瓦を使用した屋根。当時としては斬新なもので、現在の瓦葺きと全く同じ構造・方法です。
354₋4 明治のころの銅版画
牧士の管理仕事に並行して始めた“穀物商”“醤油醸造”など、吉田家は繁栄した。この銅版画はその頃のものです。筑波山が望見できます。
354₋5 小金牧の野馬除土手
山ケンの家から100m程の交差点脇に当時の遺構がそのまま残っていました。
山ケン
結構、好きなんですよね
返信削除整さんパパ通信
はせがわめぐみ