今週のテーマ;2017年コブ白鳥観察記録例年5月のゴールデンウイーク頃から手賀沼のコブ白鳥たちの子育てが始まります。今年はいつもより少し早く5月2日に2家族の雛が誕生しました。169-1観察データ15月2日の誕生組に続いて次々に孵化し6月に入っての合計が8家族36羽になりました。雛は水辺の草が育つ5月~6月の約2ケ月の間に生まれます。コブ白鳥は(冬場の水草状況により)営巣のための生活縄張りが必要です。手賀沼ではそろそろ限界になってきたのかもしれません。169-2 5月2日孵化第1陣の一家5月2日、染井下落としの川口に従来からのペアーと違うペアーが営巣・産卵し雛が生まれました。雛は生まれて1週間が勝負で天敵のカラス被害や障害物での事故で1~2割が少なくなります。169-3 5月9日5月9日 やはり雛の普通色1羽が欠け 他は元気に成長していました。しかし、その翌週(5月11日~6月に入って)この一家は付近から姿を消しました。一家族不明の原因は分かりません。【写真169-1説明3の①】169-4 田圃で生活を始めた一家最近は白鳥たちの耕作地侵入が増え いつもと事情が変わって来ました。5月25日のパトロールで緑道4.3km地点(観察用のマーク)の田圃の側溝で初確認した一家(親2、雛白系6)は6月19日 さらに沼を離れた田圃で生活していたのに 6月29日には何処にも居なくなりました。これも原因は?です。169-5観察データ2手賀沼コブ白鳥のデータです。観測を初めてから19年、この先どうなるのでしょうか?山ケンにも分かりません山ケン
今週のテーマ;身近に居る小さなシジミチョウたち散歩中 時々目の前をヒラヒラと花びらのように舞っている小さな蝶、それがシジミチョウです。シジミチョウは身の廻りに沢山いるのですが大変小さいく(前翅長は平均10~30㎜位)なかなか気づきません。世界中に生息している蝶の仲間の40%がシジミチョウといわれる程ですが、地味であまり目立たない(ヤマトシジミ・ウラナミシジミなど)のが多く認識している人は少ないのかもしれません。168₋1 ヤマトシジミヤマトシジミはカタバミ草を食草としているので、雑草の多い我が家にも毎日飛んできます。止まっていると分からないですが、飛んでいるときに翅表が薄青色は♂、黒っぽく見えると♀ですぐ判別できます。よく♀♂でランデブー飛行しています。168₋2 ウラナミシジミ翅裏の綺麗な波型が 江戸時代の“粋な旦那さんの羽織の裏地”の様ですネ!食草;エンドウ インゲンなど栽培マメ類 ヤマハギ クズなど豆科の花の季節が探しやすく畑でよく見かけます。翅表はヤマトシジミに似て地味な灰色です。168₋3 ベニシジミシジミチョウの中では大きいほうで カラフルなため目立やすいです。食草は日本中何処にも自生しているタデ科の雑草で、場所は明るい草地であればいつでも見られます。秋、セイタカアワダチソウでの撮影ですが、夏型の最後でしょう。168₋4 ウラギンシジミ翅の表裏の模様が全く違っていて、表は落ちついた柄で 裏側は銀紙のように光って(168-2の蝶の裏全面がキラキラした銀色を想像してください)翅を立てていると全く別の蝶に見えます。翅の裏側の特徴が名前になっているシジミチョウの典型です。食草;クズ フジ 場所は樹林地や樹林の多い公園などです。柿の実があると秋に成虫が良く集まり、常緑樹の植え込みで成虫越冬するとの事です。山ケン
今週のテーマ;今 考えていること今日は9月1日防災の日です。写真はお休みさせてください。何かの参考になればと思い8月25日に行われた中央防災会議 有識者会議のことを少し整理してみました。167-1 巨大地震 政府の対応私たちはどうすれば良いかは“大震法”第22条(住民等の責務)に定められているのです・・・【警戒宣言が発せられたときは、強化地域内の居住者等は、火気の使用、自動車の運行、危険な作業等の自主的制限、消火の準備その他当該地震に係る地震災害の発生の防止又は軽減を図るため必要な措置を執るとともに、市町村長、警察官、海上保安官その他の者が実施する地震防災応急対策に係る措置に協力しなければならない】と、あります。それが今回は地震発生予告でなく発生後の避難をするように提言が変わったのです。167-2 南海トラフ巨大地震の想定震源域日本はユーラシアプレートと北米プレートの上にあってフィリイン海プレートと太平洋プレートが沈み込んでいます。図の南海トラフではフィリピン海トラフがユーラシアプレートに入り込んでいるのです。南海・東南海・東海地域では政府が学術的に“沈み込み” 陸上での“地下水レベル”などの観測を継続 地震発生の事前把握調査を行っています・・・167-3 南海トラフ地震 避難案2011年、ユーラシアプレートと北米プレートとの境界で発生した東日本大震災の予想外の被害を受けて単純にプレートの沈み込みなどの観測だけでは「どうにもならない」現状から「現時点では発生時刻や場所を確度高く予測できない」として「一部分で地震が発生した後に対応」する事後案(167-3図)になったのです。私たちには「現場から避難することだけが提示された」のですが・・・具体的にどうすれば良いのでしょうか?そこが知りたいと思いませんか。167-4 防災の日に考えましょう。巨大地震のことは実際のところ私は特定地域に住んでいないので「今まで真剣に考えたことがなかった」のが本音です。が、災害は特定の地域の問題ではないので、「どんな災害が身の廻りに起こるか」「その時どうして身を守るか」を防災の日に考えることが必要だと気付きました。災害は地震だけではなく「河川の氾濫・崖や傾斜地の存在・集中豪雨時の状況想定・火災」 などです。そのために自分の住んでいる場所の土地の自然状況(断層の有無・崖や傾斜地・河川)などと家そのものの現状(傾斜地ひな壇の家屋・近隣の建築物状況など)を第三者的、具体的に考察・判断することが必要であると考えました。山ケンも今夜考えてみたいです。皆さんもどうぞ・・・
今週のテーマ;神田川スケッチ 柳橋“船宿小松屋”
神田川は三鷹市の井の頭池に源を発し、途中善福寺川、妙正寺川と合流、
杉並、中野、新宿、千代田区を通って両国橋脇で隅田川に合流する
流路延長24.6km、流域面積105.0km2、東京都内を流れる一番大きな川です。
神田川に架かっている橋は三鷹市の水門橋から隅田川に流入するまで約139の橋があ
るそうです。
その139番目の柳橋に昭和の記憶を探してきました。
166-1 柳橋脇の船宿
関東大震災で被災した柳橋が昭和4年に鉄の橋になったそのすぐ脇に「船宿小松屋」
がありました。
昭和5年、二代目が「屋根船(屋根の取り外しができる船)」を造り
屋根の四隅に小さな高張提灯を掲げて、
柳橋界隈の半玉さんや芸者衆を乗せ隅田川の舟遊びで栄えたそうです。
166-2 柳橋
江戸時代、ここの界隈は料亭・置屋・茶店など 情緒豊かな“川端の花街”で
街の橋を“柳橋”と言ったのは自然だったのでしょう。
そういえば昔から各地の繁華街や花街に“柳”の付く“川や橋”の名前が多いことに
気付きました!
今は全くそれらしい場所には見えません。
166-3 現在の柳橋
*隅田川の定期船から柳橋を撮影
船宿小松屋は現在も橋の袂に赤塗りの屋根船で営業していました。
166-4 老舗 船宿小松屋
高張提灯は今風に変わって屋根船の四隅に掲げられていました。
166-5 柳橋から隅田川
今は 四代目が「ハゼ釣り、天ぷら宴会、納涼、花火見物などいつでも出船できま
す」と
屋根船を隅田川に向けて待機していました。
定期船が両国橋下を通って浅草に向かっていました。
山ケン
今週のテーマ;緑陰スケッチ月遅れ“盆”です。木陰に入るとなぜかホっとしておしゃべりが出ませんか・・・そんなひと時です。165₋1 緑陰ランチ「美味しい?」「うん、美味しいネ」165₋2 散策「都会にもこんな緑がある日本は羨ましいですね」「ほんとうに」165₋3 一休み「・・・」「・・・」「・・・」165₋4 もう帰るの・・・「アイスクリーム食べたかったなー」「・・・帰るわよ」山ケン
今週のテーマ;花火の音…今日のフォト俳句…“遠花火 音だけベッドで 聞きながら”…夏風邪なんて引くものではないですネ…(164-1)“あの音は スターマインの 連打音”…光と音の競演が始まったようです…(164-2) “この流星 花火師さんの 知恵の色…たぶんこの青緑光は銅かバリュームの色ですネ…煙火玉が炸裂し 仕込まれた星が熱せられ 金属原子が励起 炎色反応⋆を起こし光芒となって自由に飛び回る光と音の流星になります⋆炎色反応…花火の発色⇒ 高温の炎中に(比較的低温で熱励起され、発光波長が可視光になる)金属粉末や金属化合物を入れると 熱エネルギーで乖離し原子化され電子が励起し、エネルギーを光として放出する“炎色反応”が起こります… 【主な炎色反応の色】リチュウム:赤 ナトリュウム:黄色 カルシュウム:オレンジ ホウ素:黄緑 スズ:白 銅:青緑など(164-3)“昇り竜 木枯らし笛を 吹きながら”…顔は夏 手足は冬です…(164-4)“補聴器が 尺玉の音に 悲鳴上げ”…目が覚めました 皆さん 夏風邪にご注意ください…山ケン
今週のテーマ;163 僕の宝物 動くオモチャ小さい時からミニチュア模型作りが大好き。それもプラモなどは どこかを改造(何かが動く、電気が付くなど・・・)することに夢中になっていました。お陰でカミさんには年中叱られ続けでしたが・・・163₋1 今も健在 書斎ガレージ仕事部屋のAVラックの一角にあるミニチュアガレージです。45年前作った飛行機、30年前の自動車が今も鎮座しています。モデルの縮尺が少し違いますが何とかそれらしく収まっています。163₋2 艦上偵察爆撃機BF2₋1第二次世界大戦開戦まで実戦配備されていた米国海軍最後のカーチス社製複葉機。この模型には超小型のモータとニッケル蓄電池を仕込んでいて廊下でプロペラによるタキシング(滑走)が辛うじてできました(今は電池が駄目です)。163₋3 夢の中の飛行昭和47年(1972)頃の模型用モータ、ニッケル蓄電池では、いくらプラモを軽く作ってもとても飛行など考えられず、夢の中のイメージを写真にしました。実際は釣り糸を使った吊り下げなのですが、糸を見えなくする工夫に苦労しました。なんとか飛んでいるように見えるでしょう!163₋4 トライアンフ TR2TR2~8型車は英国のトライアンフ社が1953年から1981年まで製造したレーシングカーで、当時は軽量で90マイルの高速性はピカイチだったと言われていました。金属キットを購入してから制作開始まで、金属製台車構造を眺めながら「機能再現の範囲(前後輪サスペンション・ハンドル廻り)」を半年考え続けました。その結果 写真のダブルウィッシュボーンの前輪サスペンション作りなどには結構な苦労(これが道楽です)を強いられたのですが0.5φドリルなど屈指して1年後何とか完成しました。実車を想像させる前後輪のサスペンション、ハンドルを切ると連動するステアリングが自慢です。163₋5 トライアンフTR2山ケンの初代自家用車ナンバープレート(写真縮尺)を付けて今も仕事部屋に君臨しています。山ケン