2021年5月28日金曜日

5/28 「蕎麦の味」

362 20210528       「蕎麦の味」  1961年(昭和36) 勤務先が神田になった。 先輩に神田“藪蕎麦”を紹介され 初めて食べた「せいろう(もりそば)」の汁が極めて塩辛く(とっさに落語を思い出し)箸でつまんだ蕎麦の先をつゆに少し浸して食べた事を鮮明に想いだした。それ以来何故か“蕎麦”に病みつきになり昼の主食に… 「東京の蕎麦の文化は江戸時代に始まり江戸生れの“藪(やぶ)”、大阪で創業 江戸に引っ越した“砂場”、信州育ちで色白な“更科”が老舗 御三家」とか、年齢を重ねる毎に覚え、老舗の“蕎麦”が昼食のお定まりコースになり、評判の“蕎麦屋”探しが続いた。 *“藪”の他、“砂場”と“更科”の呼称由来は面白いので、後日機会を見てお話致します。 362₋1 神田“藪蕎麦” この老舗は まさに江戸時代からの“藪蕎麦*①”で、1880年(明治13)現在の神田淡路町に開業した店で、初めて連れられて来た時以来 (せいろう2枚の)財布と相談しての昼飯だった。 驚いたことに“藪蕎麦”付近の路地には、いつも高級乗用車が何台も停車していたことです。 *⓵ 伊勢安濃津(いせあのつ:現在の三重県津市)藩主 藤堂和泉守の家臣で千駄木の下屋敷で働いて いた蕎麦切り名人が「三輪」姓を名乗り初代として千駄木の団子坂権現山に1500坪の土地を 買い 蕎麦“蔦屋”を開業 大繁盛した。明治になって神田にも土地を買い足し、店を拡張した が直に金融で失敗 廃業。それを今の藪の初代堀田七兵衛が受け継ぎ 庭の竹藪の中の優雅な 離れ部屋が評判になり「藪蕎麦」と通称されるようになった、との事です。    362-2 神田“まつや” 神田藪蕎麦近くに開業した“まつや”は老舗御三家と無関係だが繊細な手打ち生蕎麦を前面に打ち出し 明治17年創業 関東大震災直後 大正14年に再建。これが江戸っ子の気短さのおかげで 昼時の繁盛中、御三家の玄関先で「まつ(待つ)より “まつや”だ!」と、ばかり大繁盛。 でも、最近はここも人待ちが… 何せ「せいろう」の盛りが“どこか”より多いのです(笑)   しかも「まつやの“鴨せいろう”のつゆ」が絶妙で、食後のつゆの蕎麦湯割りが最高でした。 362₋3 虎ノ門“砂場”  職場が西新橋に変わって初めに気付いたのが 歴史ある建物で登録有形文化財に指定されていた“(大阪乃)砂場”です。ここでは昼のみならず夜のマージャン前の「焼き海苔で“イッパイ”」に よく暖簾をくぐった店で、今でも近くに所用があれば昼蕎麦に立ち寄ります。  今(2021年) 建物は街並開発で道路拡幅のため「家引き(建物をそのまま引っ越す)移動で休業中」。   2022年2月頃再開店とのことです(2021年2月確認)。 362-4 大井“布恒更科”  コンサルタントを開業し顧客先(大森駅近く)で、良い老舗蕎麦屋に巡り合えず困ったとき 近いために通うようになったお店の名が 歴史のある“布恒更科”、即刻 昼蕎麦の定場所になった。  蕎麦は“常陸秋そば”が主で ここの「季節の変わり蕎麦」もなかなか“おつな”一品です。 山ケン

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