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20210122
【江戸時代の俳句作家三人】 その2
俳聖:松尾芭蕉
本名 松尾宗久
伊賀国上野(三重県)出身。18歳で藤堂藩の侍大将の嫡子・良忠に料理人として仕え、良忠から俳諧の手ほどきを受けて詠み始め、伊賀俳壇で若手の代表格として地位を築いた。
・1672年(28歳)仕官を退き俳諧師になるために江戸へ 修業を積む。
・1677年(33歳)、俳諧師の免許皆伝となり、宗匠(そうしょう、師匠)となった彼は、江戸俳壇の中心地・日本橋に居を定め活動を始めた。
344₋1 松尾芭蕉庵
・1680年(36歳)、当時の俳諧の俗っぽさを嫌って、門人でありパトロンでもあった 日本橋で
幕府御用の魚問屋を営み豊かな経済力のある杉山杉風(さんぷう)の下屋敷の生簀(いけす)小屋と言われた隅田川東岸、小名木川の合流点の「元番所」と言われた所に居を構えた。
弟子達はここに芭蕉の木を植え「芭蕉庵」と呼び栄えた。
彼自身も号を“芭蕉(はせを)”と替えた。
*芭蕉庵は東京江東区常磐1丁目芭蕉稲荷大明神のある場所、この像は小名木川と隅田川の合流点の庭園内にあります。
344-2 葛飾北斎の作品“芭蕉”翁
野ざらしを心に風のしむ身かな
・1684年(40歳)、母が他界し2年が経ち墓参りを旅の目的に奈良、京都、名古屋、木曽など
半年間巡る。
・葛飾北斎の描いたこの絵は 芭蕉が初めて世に出した紀行文『野ざらし紀行』の印象では?
*心に残る一句「この道を行く人なしに秋の暮」は俳諧の理想の道を憂いたのでは…(山ケン)
344-3 古池や蛙(かわず)飛込む水の音
・有名になったと言われるこの句は42歳“芭蕉庵”で読んだもので「直筆の短冊が現存」
しています。
*この句碑は芭蕉の自筆を模したものと言われ、現在は芭蕉庵跡の程近くにある清澄庭園内に移されています。
344-4 行(ゆく)はる(春)や 鳥啼(とりなき)魚の 目はなみ(涙)だ
・1689年(45歳)門人たちと共に深川から墨田川をさかのぼり千住で一夜を過ごし翌日皆に
見送られ河合曾良(そら:5歳年下で博学)を供に江戸を発った。『おくの細道』の旅立ちです。
関東から東北、北陸さらに美濃国(岐阜県)大垣まで、工程500里あまり、約150日の及ぶ
大旅行になった。
*この絵は、限りなく敬い慕っていた与謝蕪村が描いた芭蕉の旅立ちの姿です。
・1694年俳諧紀行文「おくの細道」が完成。4ケ月後大阪で病に伏し、10月12日午後4時に永眠
した。享年50歳。
*最期の句は死の4日前「旅に病んで夢は枯野をかけ廻(めぐ)る」ですが、彼は、「なおも夢の中で見知らぬ枯野を駆け回っている」と門人に話していて…辞世の句とは考えなかったのでは…
山ケン
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