333
20201106
【江戸城新シリーズ4】
江戸城“大手門”
大手門は参勤交代の大名などが徳川将軍に拝謁する正規な登城門です。
*現在は“皇居東御苑”の入り口の一つになっていて一般公開されています。
333₋1 大手“高麗門・渡櫓門”
1607年(慶長12)、築城の名手藤堂高虎によって築かれ、1620年(元和6)伊達政宗・酒井忠世達によって桝形門になり、1657年(明暦3)明暦の大火で全て焼失。1659年(万治2)に再建された。
333-2 大手 渡櫓門
だが、286年後1945年(昭和20)戦災で渡櫓門のみが再度の焼失。
1966年(昭和41)高麗門などの修復に合わせ渡櫓門を再建、ようやく現在の姿になりました。
333₋3 鯱(しゃちほこ)
この鯱(左)は昭和20年戦災で渡櫓門の焼け跡に残っていたもので
現在は桝形門中の植え込みにひっそりと展示されています。
刻印に「明暦三
丁酉」(丁酉=ひのと
とり)とあり、1657年(明暦3)の明暦の大火で焼失した後1659年(万治2)に大手門が再建されたときのものと推定できます。
現在の渡櫓門の鯱(右)との比較で胸鰭(むなびれ)が無いことに気付きました。
333-4 登城
全国300もの大名ほか諸侯は この大手門から入城し、“下乗橋(現在は埋め立てて無い)”前でお付きの供を待たせ“下乗門(石垣一部現存)”をくぐり、“百人番所”前を通り “中の門(石垣のみ現存)”を通過、“大番所”で最後の確認を受け、
“多聞*①”で完全に囲われた本丸御殿の“中雀門(石垣のみ現存)”に入る。
大名は大手門から数百mは一人
供無しの登城になるのです。
江戸城は戦のない平和な時代にはそぐわない程
警備が厳重な城でした。
*① 多聞;城壁・石垣の上に造られた長屋風の建物。中には武器などの他
城で必要な品物の収納庫です。
山ケン
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