335
20201120
【江戸城新シリーズ5】
火除けの守り神 鯱(しゃちほこ)
先々週(333号)「大手門」で紹介した鯱のように、江戸城の遺構で現存(復元建造物も含む)する櫓(やぐら)屋根の大棟には必ず鯱が雌雄で(火事の)睨みを利かせています。
*鯱は、織田信長が安土城(1576年:天正4)を建てるとき 始めて中国の「瓦葺屋根大棟の両端につける飾り鴟尾(しび)」を真似て 魚虎(しゃちほこ)を“火除けの守り神”として天守閣の大棟に飾った。
それ以来各地の城主たちの“城造りの慣例”になったと伝えられ 江戸城でも踏襲された。
335₋1 名古屋城の“金の鯱鉾(又は鯱)”
徳川家康が江戸幕府の「天下普請(1603年:慶長8)~」に並行し、1615年(慶長20)、東海道の要所 名古屋に「天下人としての威厳を見せつけるため」に造った天守の飾りが金の鯱鉾でした。
*慶長大判1,940枚(金の総重量:215.3kg)も使った豪華な鯱鉾になった。
335-2 江戸城 富士見櫓の鯱
富士見櫓*①の鯱は、創建1606年(慶長11)。明暦の大火で焼失、1659年(万治2)に再建され、明治維新で江戸城が皇居になった後は鬼瓦を菊の紋章に換え現存している。
*① 現存する江戸城の櫓の中で唯一の三重櫓、万治二年の再建以降は天守の替わりになっていた。
335-3 江戸城 清水門
渡櫓門の鯱
創建は不明だが扉金具に残る刻印から1658年(万治元年)に建てられた事が分かり、建立年代の判明した江戸城の遺構として 桝形門と周囲の状態も当時と変わらずに
往時の雰囲気を残す門です。大屋根は補修されているが鯱・鬼瓦も徳川の紋のまま昔の姿を残しています。
335-4 桜田門の鯱と菊の紋章
「桜田門外の変」の桜田門の鯱と菊の紋章。関東大震災で一部が破損 改修され,鬼瓦は新製、鯱は昔のまま使われた。
335₋5 浮世絵「諸国名所百景“名古屋”」“金の鯱鉾”
鯱は、龍(虎とも)の頭、胴体は魚
体に鋭いトゲ。江戸時代の書に「鯱は口から水を吐き、火を消す力」を有し寺院や城郭では本堂や天守など重要な建物に火除けの守り神として飾った。
山ケン
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