329
20201009
【江戸城新シリーズ2】
江戸を壊滅的な大火災から立ち直らせ、次の発展につなげた“保科正之”は
昨年279号(20191025)「…石垣は残った」で少し触れましたが その続きです。
為政者(の実力・評価)は大災害に遭遇した際の対応で「決まります」。
毎日のメディア情報に接していると、世界中の国が直面している「コロナ過対応」と 江戸時代の「明暦大火の対応」の結果とどこか相似点があるようです。
保科正之は“江戸時代初期 三名君”の一人と言われ、朱子学(“幸”を貴ぶ「儒教」の新しい学問体系)と神道について並の学者も及ばぬ人柄でありながら 歴史書の表には殆ど出て来なかった人物です。 今週はそんな人の話です。
329₋1 329-2 329-3 説明は画像内です
どうぞ・・・
329-4 保科正之の家訓
保科正之は、子弟教育に関して特に思いが強く、家訓15ケ条とは別に
① 藩士の子弟を対象に6歳になると「什(じゅう)」と言うグループを構成し、毎日「什の掟」を唱和させた。
【什の掟】
一、年長者の言うことに背いてはなりませぬ
一、年長者には御辞儀をしなければなりませぬ
一、虚言をいふ事はなりませぬ
一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
一、弱い者をいじめてはなりませぬ
一、戸外で物を食べてはなりませぬ
一、戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ
と唱和させ 最後に「ならぬことはならぬもの」ですと締めくくる。
② 次いで10歳になると「日新館」に入学。日新館は会津藩の藩校で、授業は朝の8時から始まり、
論語、大学(生徒)の四書五経、孝経に 小学(生徒)向けを加えて合計11冊の中国古典を教科書としていた。
*日新館でも具体的表現による「日新館の心得」を謳っている。(長文の為省略)
山ケン
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