2020年10月9日金曜日

10/9 【江戸城新シリーズ2】

 





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20201009

  【江戸城新シリーズ2

  江戸を壊滅的な大火災から立ち直らせ、次の発展につなげた“保科正之”は

 昨年279(20191025)「…石垣は残った」で少し触れましたが その続きです。

  

 為政者(の実力・評価)は大災害に遭遇した際の対応で「決まります」。

 毎日のメディア情報に接していると、世界中の国が直面しているコロナ過対応と 江戸時代の明暦大火の対応の結果とどこか相似点があるようです。

保科正之は“江戸時代初期 三名君”の一人と言われ、朱子学(“幸”を貴ぶ「儒教」の新しい学問体系)神道について並の学者も及ばぬ人柄でありながら 歴史書の表には殆ど出て来なかった人物です。  今週はそんな人の話です。

 

3291  329-2  329-3  説明は画像内です どうぞ・・・

 

329-4 保科正之の家訓 

保科正之は、子弟教育に関して特に思いが強く、家訓15ケ条とは別に

 

   藩士の子弟を対象に6になると「什(じゅう)」と言うグループを構成し、毎日「什の掟」を唱和させた。

什の掟

一、年長者の言うことに背いてはなりませぬ

一、年長者には御辞儀をしなければなりませぬ

一、虚言をいふ事はなりませぬ

一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ

一、弱い者をいじめてはなりませぬ

一、戸外で物を食べてはなりませぬ

一、戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ

と唱和させ 最後に「ならぬことはならぬもの」ですと締めくくる。

 

   次いで10になると「日新館に入学日新館は会津藩の藩校で、授業は朝の8時から始まり、 論語、大学(生徒)四書五経孝経に 小学(生徒)向けを加えて合計11冊の中国古典を教科書としていた。

*日新館でも具体的表現による日新館の心得を謳っている。(長文の為省略)

 

山ケン

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