2019年11月17日日曜日

11/15 自転車こぎ








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20191115

 自転車こぎ
使い過ぎたボロ自転車を二人の息子達が病後のリハビリのため買い替えてくれたのが平成29年(2017年)5月20日。
喜び勇んで10日間走った距離が113㎞になった・・・
 
282₋1 リハビリ自転車
それから走行距離を毎日記録し2年と6ケ月、令和元年(2019)11月13日、 自転車に付けている積算距離計が ついに1回転「1万km」を超えた。
 手賀沼の遊歩道と自転車道一周20㎞は公道との交差が1ケ所もない湖畔ルートで 週に4~5日 自作“腰当て付き特製荷台”にカメラ道具一式を入れて走り続けています。
 
282-2 春を走る
五十歳ころから“変形性膝痛”に悩まされ、まともに対策もせずに過ごした二十数年間をリカバーしたくて始めた“自転車こぎ”。
幸い専用自転車道/遊歩道と言う素晴らしい環境に恵まれ 走り始めてリハビリの効果が出るようになった。
最近は平地であれば膝を痛がらずに(階段の上り下りは痛いまま)1km程度は歩けるようになり整形外科病院には行かなくなりました。

282-3 秋雨後の自転車こぎも・・・
282-4 満開のサクラの下も・・・
 四季を通して走りまくりました。
 最近“自転車こぎ”のリハビリ行動が「週刊写真便り」の構想、被写体探しの原点にもなって来たのに気付き楽しみが増えてきました。

282₋5 自転車メータ
 この自転車を使いはじめて7500㎞走ったところで駆動系のトラブルが続発、 “メーカー責任により駆動系一式交換”してもらい この11月無事「1万km突破」しました・・・次の2周目を目指します。

山ケン

2019年11月9日土曜日

11/5 カメラ散歩 江戸城シリーズ 番外編 “浜離宮”


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20191115





カメラ散歩 江戸城シリーズ 番外編 “浜離宮”

江戸で忘れられない場所が (六代将軍)徳川家宣の別邸“浜御殿”でしたので
おまけ掲載です。

281-1浜御殿
1654年(承応3年)甲府藩主の徳川綱重は この地を拝領し海岸を埋め立て総石垣で囲んだ広大な庭園別邸を造り 1707年(延宝4) 江戸城と同じ石組による“桝形門”を造った。その2年後1709年(延宝6)綱重の子供 家宣(いえのぶ)が六代将軍になったのを契機に“浜御殿”と改称した。
庭園は潮の干満による景色が変化する「潮入りの回遊式築山泉水庭」や鴨猟を楽しむ癒しの庭園だったようです。それから150年、1853年(嘉永6)黒船来航で江戸は幕末の激動の波にもまれ始めた。
ペリー来航「日米和親条約」締結から10年余過ぎた1866年(慶応2)幕府は外国からの賓客対応の為 海上交通の便を考慮し慌てて浜御殿内に初めての“石造り洋館”建造に着工、だが明治になってしまい中断・・・
明治政府がこの建設を引き継ぎ1869年(明治2) 「外国人接待所“延遼館”」として“鹿鳴館”が出来るまで使ったのです。

281-2在りし日の延遼館
この写真の場所は現在芝生になっていて 前の東京都知事が「2020東京オリンピック」までに再建することを決めたが本人が辞任してしまい2019年の今も芝生のままです。

281-3浜離宮入口 
大手門橋の先が大手門櫓廓台(ろかくだい;桝形門を構成する櫓の基礎石垣)跡で、
現在の「都立庭園“浜離宮”(2017年)」庭園入口です。

281₋4 昭和の風景
 明治になって 宮内省の管轄になった浜離宮は1923年の関東大震災 1945年の東京大空襲で、大手門や複数の御茶屋や樹木が焼失し庭園自体も大きく損傷、大きな被害を受けたが、1952年(昭和27)旧浜離宮庭園として特別史跡・特別名勝に指定された。この写真(2005年)“中島の御茶屋”は1983年復元完成を知り撮影しておいたものです。

281₋5現在の案内図
現在は焼失した木造の御茶屋などが次々と復元され、往古の庭園風景に親しめるようになりました。場所は銀座・新橋の近くです。どうぞ・・・・

山ケン


2019年11月3日日曜日

11/1 虫







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20191101
 もう11月です。もともとは花のアップ写真が好きでカメラを構えるが、その時、昆虫を見つけるとそちらに意識が傾いてしまいます。虫は名前の特定に結構苦労します。各種の資料から何とかそれらしい種と名前に辿りつくと嬉しくなるので止められません。

280₋1 レンゲ草に飛来のミギワバエ
ミギワバエ;ハエ目ミギワバエ科 、体長は2~9㎜、湿地・水辺などに多く生息。日本では38属 約100種 登録されていてこの写真の正式名は不明でした。
レンゲ草の根にはバクテリアが付いていて稲にとって良い肥料になるので稲を植える前の水田に種をまき開花後 土にすきこむ。最近まで春先の稲田でよく見かけた野の花です。

280-2 イタドリの雄花に潜んでいたゴミムシ
 写真はイタドリの雄花とゴミムシです。
 ゴミムシはコウチュウ目オサムシ科、あるいはこれに近縁で雑多なものをまとめて呼ぶ。写真の(狭義な)ゴミムシは オサムシ科ゴモクムシ亜科に分類される甲虫。この虫は体長13mm前後の中型のゴミムシ類の仲間です。
 この花は タデ科の多年生植物のイタドリの雄花(雌花は“雌雄異株”のため画面には写っていません)です。別名は スカンポ・イタンポなどと各地で言われ 日当たりの良い道ばた、土手、山野など様々な場所で生育、いたるところで見られます。
 根を乾燥し煎じて飲用“利尿・便秘・ジンマ疹”の薬草になります。

280₋3 ニラの花に誘われるナミハナアブ
 ハナアブ(花虻);ハエ目:ハナアブ科の総称で、ナミハナアブは腹部が大きく可愛らしい姿です。ハナアブ科は国内には少なくとも89属400種は分布すると推定されるようですが人間に悪いことをしないので話題性は少ない。
 ニラ(韮)については皆さんの生活に親しい野菜なので解説は省略します。

280-4 野生化したランタナの花にイチモンジセセリ(蝶)
 イチモンジセセリ;チョウ目セセリチョウ科 前翅長は約20mm。全身が茶色。
 ランタナ;花屋さんで見かける鉢物の花「(和名)七変化 “ランタナ”」が雑草化したものに飛来した“イチモンジセセリ”です。

山ケン

2019年10月26日土曜日

10/25 カメラ散歩  江戸城シリーズ Ⅳ “江戸城天守物語”








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カメラ散歩  江戸城シリーズ Ⅳ “江戸城天守物語”

江戸城天守「石垣は残った」

279₋1
 家康が築いた「慶長度天守:1607年(慶長12)」を二代秀忠が「元和天守:1623年(元和9)」として本丸の大改造時に造り直した。さらに三代家光がそれを15年で取り壊し 日本最大規模の「寛永度天守:1638年(寛永15)」を造った。が、完成して20年も経たず明暦の大火1657年(明暦3)‟振袖火事”で焼失した。

 *写真は江戸東京博物館内の展示模型で、写真に見える範囲で 富士見三層櫓以外に20ケ所に櫓があったが省略、中乃門を入ったところの大番所など付属施設も省略されているがかなり精巧に作り込まれていました。
 現在は本丸・二乃丸跡共に遺構はなく全体が緑豊かな公園として一般公開。
現存する濠と石垣が往古を忍ばせてくれます。
*現在の自由入城門は大手門・平川門・北桔橋門です。散策にどうぞ。

279-2天守台
火事から2ケ月後、1658年(万治元年)に四代家綱が天守再建を計画し、先ず全国屈指の石垣築城技術を誇る加賀藩前田綱紀(つなのり)に命じ天守台を再組した。
再組は見栄えの良さを強めた高さ12m・東西41m・南北45mとなった。

*現在この石垣は世界に類を見ない完成度の高い遺跡として端麗な姿を
残しています。
279-3再建予定の天守
ところが、家綱の輔佐役(大政参与):保科 正之*①の進言「天守の復興より明暦の大火後の町民の救済・江戸のインフラ整備が重要」が優先され 幕府は設計を終えたが再び天守台に天守を建造することはなく、石垣のみが残った。

 *①:保科 正之⇒三代将軍家光の異母弟で陸奥会津藩初代藩主。
家光の遺命により幼少の四代将軍家綱の後見人的役を担い“家綱として
の幕政実行による 江戸発展の最大の貢献者”。

279-4 江戸城寛永度絵図
本図は 平井 聖(きよし)(東京工大名誉教授)が『御本丸寛永度絵図』と『寛永度絵図大奥』の大きな保存図面をコンピュータスキャン、国土地理院“1万分/1地図”に展開しWebに公開した精密な図の一部分です。
*279₋1江戸東京博物館のスケール模型の基になったものと思われます。
 
279₋5 天守復活?!
2019年 令和元年になった6月「週刊新潮WEB版」に“NPO法人江戸城天守を再建する会”の関連記事が掲載されていました。そこには「奈良や京都には、昔の建造物が残されていますが、東京には文化のシンボルと言える伝統的な建造物がありません。江戸城天守を再建することは、単なる観光のためではなく、日本人のアイディンティティ、日本の風格、日本の伝統技術を後世に残すという役割も担っているわけですよ」と、ありました。
 「皆さんはどうお考えになりますか」

山ケン