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20191115
カメラ散歩 江戸城シリーズ 番外編 “浜離宮”
江戸で忘れられない場所が
(六代将軍)徳川家宣の別邸“浜御殿”でしたので
おまけ掲載です。
281-1浜御殿
1654年(承応3年)甲府藩主の徳川綱重は
この地を拝領し海岸を埋め立て総石垣で囲んだ広大な庭園別邸を造り
1707年(延宝4)
江戸城と同じ石組による“桝形門”を造った。その2年後1709年(延宝6)綱重の子供
家宣(いえのぶ)が六代将軍になったのを契機に“浜御殿”と改称した。
庭園は潮の干満による景色が変化する「潮入りの回遊式築山泉水庭」や鴨猟を楽しむ癒しの庭園だったようです。それから150年、1853年(嘉永6)黒船来航で江戸は幕末の激動の波にもまれ始めた。
ペリー来航「日米和親条約」締結から10年余過ぎた1866年(慶応2)幕府は外国からの賓客対応の為
海上交通の便を考慮し慌てて浜御殿内に初めての“石造り洋館”建造に着工、だが明治になってしまい中断・・・
この写真の場所は現在芝生になっていて
前の東京都知事が「2020東京オリンピック」までに再建することを決めたが本人が辞任してしまい2019年の今も芝生のままです。
281-3浜離宮入口
大手門橋の先が大手門櫓廓台(ろかくだい;桝形門を構成する櫓の基礎石垣)跡で、
281₋4 昭和の風景
明治になって
宮内省の管轄になった浜離宮は1923年の関東大震災
1945年の東京大空襲で、大手門や複数の御茶屋や樹木が焼失し庭園自体も大きく損傷、大きな被害を受けたが、1952年(昭和27)旧浜離宮庭園として特別史跡・特別名勝に指定された。この写真(2005年)“中島の御茶屋”は1983年復元完成を知り撮影しておいたものです。
281₋5現在の案内図
現在は焼失した木造の御茶屋などが次々と復元され、往古の庭園風景に親しめるようになりました。場所は銀座・新橋の近くです。どうぞ・・・・
山ケン
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