2021年6月26日土曜日

6/25 『鬼平犯科帳』と下町

366 20210625    『鬼平犯科帳』と下町; 「長谷川平蔵 本名は“長谷川宣以(のぶため)”」     テレビドラマで時代劇を見ていると原作者の名は忘れても「鬼平犯科帳 長谷川平蔵」を扱ったものが大変多いのに気付いた。 大好きな東京の下町 墨田区を自転車で走ると随所に「鬼平情景」なる立て看板が目立ち、その数なんと16ヶ所。時代劇には縁が薄かったのだが、少し気になって・・・ 鬼平犯科帳の原作者 池波 正太郎は浅草で生まれ(1923年)、67歳(1990年)で没するまで東京を離れなかった「根からの下町っ子」と言うことで興味が湧いてきました。 雑誌「オール読物」編集部調査では、2021年2月時点までのテレビドラマ・映画・舞台・漫画・テレビアニメなど 及び単独出版ものを含めると発行部数3000万部を超えたそうです。 これは凄い! BCC会員にも“ファン”が居るでしょうから、「チョコっと」調べてみました。 366-1 実在した長谷川平蔵(本名 長谷川 宣以(はせがわ のぶため))  長谷川平蔵こと 長谷川 宣以(のぶため)は、1745(延享2)年 現在の墨田区緑三丁目で、400石の旗本火付盗賊改役「長谷川宣雄」の長男として生まれ育ち、若い頃は深川・本所界隈で「本所の銕(てつ)」などと呼ばれた放蕩無頼の風来坊だったようです。 366-2 供養碑  23歳の時に江戸幕府10代将軍・徳川家治に御目見し、長谷川家の家督相続人となった。  父の貯めた金も使い果たした31歳、江戸城 西丸で「将軍世子の警護役」になったのを振り出しに、翌年には「田沼意次へ届けられた賄賂の受け役」、41歳で番方最高位である 先手弓頭*①(さきてゆみがしら) になり 順調な出世をした。父と同じ「火付盗賊改役」になったのが1787(天明7)年、42歳の時です。  *①:番方⇒江戸幕府の官職で 主君の身辺を守り,武備の管理も受けもつ。 先手弓頭 ⇒ 若年寄支配下で 役高1500石、与力5~10騎,同心30~50人を従えた。 366-3 平蔵を扱ったTV放映・出版物 etc  小説家「池波正太郎」は、長谷川平蔵に格別な興味をもち 小説化の原点として『“ただ勧善懲悪”だけでない“清濁を知り尽くした役人”』と『盗賊役が守るべき3ケ条 ① 盗まれて難儀するものへは、手を出すまじき こと。② つとめをするとき、人を殺害せぬこと。③ 女を手ごめ にせぬこと』を物語の筋書の基本とし、これに添った“盗賊 夜兎の角右衛門”を登場させた。「1968年12月号のオール読物で単発物として掲載した「浅草・御厩河岸」が大好評で、引き続き鬼平犯科帳として毎号のシリーズ化をした。結果 文庫本24巻+番外編1巻も出版、総計175物語にもなったのです。 366-4 三囲神社 「隅田七福神」の一つ、このお稲荷さんにも「鬼平情景」立て看板がありました。 366₋5 “法妙寺の九十郎”の情景です。  三囲神社は現存しています。物語と場所は写真をどうぞ。 更に興味がありましたら、単行本 十七巻「迷路」の中に掲載されています。 山ケン

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