2021年2月5日金曜日

2/5 【江戸時代の俳句作家三人】 その3

 

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江戸時代の俳句作家三人 その3 

 

 与謝蕪村(よさ ぶそん)

 

蕪村は松尾芭蕉や小林一茶など、江戸時代の有名俳諧人の中では異色の存在です。

単に俳諧で有名になっただけではなく 絵師としても名を馳せていて 同じ京都に住んでいながら全く交流が無かった天才絵師“若冲”と同い年です。が、画は全く独自の画法で名を成した。

また発句を独学の絵画と融合した「俳画という独自の芸術を確立させたのも蕪村でした。

*今回は俳人“蕪村”の話です。絵師としては代表作品のみ掲載しました。

 

3461 蕪村の肖像*

 摂津国東成郡(現:大阪府大阪市都島区)生まれ。20歳で江戸に出て「俳諧」を学ぶ。が、当時の江戸の俳諧は芭蕉の「発句の道」と違っていて、あまりの低俗化を見限り1742年27歳の時 下総国結城(現:茨城県結城市)の友人宅に寄寓する。

*:この絵は蕪村が京都に居を構えたころの弟子(江戸中期の絵師 本姓松村)“呉春”作

 

346-2 奥の細道絵巻

 蕪村は「敬い慕う松尾芭蕉の行脚生活に憧れがつのり」遂にその足跡を辿る決心をして僧の姿に身を変え 絵を宿代の代わりに置いて旅を続けた40歳を超えて花開く蕪村の修行時代だった。

彼は1744年寄寓先宇都宮で編集した『歳旦帳(宇都宮歳旦帳)』で初めて蕪村を号した

 

3463 蕪村の俳画

その後更に各地を転々とし 42歳の頃 京都に居を構え 45歳で 結婚、一人娘を授かったが、51歳で又も各地に旅立ち、俳諧・絵画の修行を続けた。漸く京都に戻った彼は猛烈に活動した。島原の角屋(すみや)*で発句を教えていた蕪村が かつて京都に住いしていた俳諧師 早野巴人*の弟子だったことから“夜半亭二世”と推讃されたりした。 

*;もと京都島原の花街の有名料亭

*:早野巴人(はやの はじん⇒“夜半亭宋阿(やはんてい そうあ)”) 宝井其角の門人、俳諧師

 

346-4 最後の居宅跡 

蕪村は、妻が選んだ居宅に戻った1784117日未明、家族の看取る中 静かに生涯を閉じた。

68歳だった。

*辞世の句 しら梅に明(あく)る夜ばかりとなりにけり」

   *場所;京都市下京区仏光寺通烏丸西入ル

 

【絵師としての参考作品】

3465 鳶鴉(とびからす) 

 蕪村の絵師としての代表的な墨絵です。今回説明は省略します。

 

山ケン

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