2019年10月12日土曜日

10/11 カメラ散歩  江戸城シリーズ Ⅱ “江戸城ってどんなところに出来たか”







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カメラ散歩  江戸城シリーズ Ⅱ “江戸城ってどんなところに出来たか”
今週はお濠の話です。

277₋1 濠に悩む江戸城
江戸城は 地形学的には武蔵野台地の扇状地に出来た「淀橋台」「本郷台」の2つの河岸段丘と江戸湾に注ぐ河川の沖積地に造られた。
城は湾に向かっての傾斜地を利用して 川を堰き止め流れを変え 水濠と土塁を築き、(日比谷濠など)砂州の低地では土盛りと石垣を組み 掘を造り築城した。
その結果 城の周囲に造った濠の (土橋形)城門の左右で水面標高が違うため濠水管理の苦労が偲ばれる。図Ⓐ千鳥ヶ淵とⒷ日比谷濠の水面標高差が15mもあることからも想像できます。
江戸時代も今も 内・外郭及び城内の濠の数が20を超えるため 濠水管理は水の流れを決めるパズルのような水面管理に頭を悩ませていたようす。
          *現在は宮内庁に専門部門がある。
277-2 千鳥ヶ淵
江戸城の重要な水源の一つだった千鳥ヶ淵の水面標高は15.98(環境庁平成23)で 内濠では一番の標高です。土橋で仕切られている濠のレベル調整は連絡水路の仕切り板で行われていたようです。

277₋3 桜田濠
千鳥ヶ淵から2つの土橋を隔てた桜田濠の水面標高は3.8m、隣の日比谷濠が1.43m、かなりの標高差がある江戸城です。

277-4 現在の神田川
 江戸は築城当初から「飲み水管理」「防御」「河川利用」に頭を痛めていた。
城の飲水の主なものは「千鳥ヶ淵」「溜池」と城の横を流れる「平川(今の神田川になる前身)」に頼っていたが、江戸の街は下流域が低地のため降雨・潮位による水位の増減で船荷扱いの苦労が大変だったのです。
幕府は 平川の水量調節を仙台藩に命じ1661(万治4)本郷台の一部を開削し駿河台を分け平川を分流し現在の神田川が出来、江戸の外濠としたのです。

山ケン

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