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20190201
上野界隈散歩シリーズ
第10話 美術・音楽教育の夜明け
明治政府は新政策の中で“教育環境”整備も手掛けた。1873年(明治6年)
日本初の公園に指定された上野のお山に1882年(明治15年) 国立博物館および
付属動物園が完成。その後新しい施設が続々と造られた。
241-1 公園の変貌
博物館完成後1885年(明治18年)岡倉天心・狩野芳崖*①等が中心となって創設した「図画取調掛1887年(明治20年)
が
現在地に官立「東京美術学校
として授業を開始。時を同じくして下谷にあった官立「音楽専門学校」が引っ越してきた。現在の「東京芸術大学」の前身です。
*① 岡倉
天心(おかくら
てんしん)(1863~1913)は、日本の思想家で文人;1890年(明治23年)東京美術学校初代校長。狩野
芳崖(かのう
ほうがい)(1828~1888);幕末から明治期の日本画家で近代日本画の父。
241-2 若者たちを見守る校門
東京芸術大学は美術、音楽の人材インキュベータに変身しました。
241₋3 今も健在な学び舎
この学び舎から山田耕筰、滝廉太郎、舟橋徹、春日八郎、黒柳徹子など数えられない程
育っていったのです。
241-4 旧東京音楽学校奏楽堂
旧奏楽堂は1890年(明治23年)学校内(写真2の中)に完成
長年使用されていたが、昭和59年に解体し、1987年(昭和62年)上野公園内の現在地に移築復元され2018年(平成30年)より一般の使用ができるようになった。
山ケン
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