2019年2月3日日曜日

2/1 上野界隈散歩シリーズ 第10話 美術・音楽教育の夜明け








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上野界隈散歩シリーズ

第10話 美術・音楽教育の夜明け

 明治政府は新政策の中で“教育環境”整備も手掛けた。1873(明治6)
日本初の公園に指定された上野のお山に1882(明治15国立博物館および
付属動物園が完成。その後新しい施設が続々と造られた。 
  
241-1 公園の変貌 
博物館完成後1885年(明治18年)岡倉天心・狩野芳崖*①等が中心となって創設した「図画取調掛1887(明治20)
が 現在地に官立「東京美術学校
として授業を開始。時を同じくして下谷にあった官立「音楽専門学校」が引っ越してきた。現在の「東京芸術大学」の前身です。

 *① 岡倉 天心(おかくら てんしん)(18631913)は、日本の思想家で文人;1890年(明治23年)東京美術学校初代校長狩野 芳崖(かのう ほうがい)(18281888);幕末から明治期の日本画家で近代日本画の父

241-2 若者たちを見守る校門
東京芸術大学は美術、音楽の人材インキュベータに変身しました。

241₋3 今も健在な学び舎
この学び舎から山田耕筰、滝廉太郎、舟橋徹、春日八郎、黒柳徹子など数えられない程 育っていったのです。

241-4 旧東京音楽学校奏楽堂
旧奏楽堂は1890(明治23)学校内(写真2の中)に完成 長年使用されていたが、昭和59年に解体し、1987(昭和62)上野公園内の現在地に移築復元され2018(平成30)より一般の使用ができるようになった。
 *現在の新奏楽堂は1998(平成10) 旧奏楽堂の場所に最新の設備が完成した。

山ケン

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