2018年3月16日金曜日

3/16 カメラ散歩 上野桜木界隈







195
20180316
カメラ散歩 上野桜木界隈

東京には震災・戦災にも遭わず明治・昭和のまま残っている町があります。
上野の東京芸大裏で谷中霊園の間の一画に 上野桜木と言う「明治の残る町」がそうです。

195-1 今も現役の長屋
ここはバスが通う街道(言問い通り)なのに 明治・昭和の面影が残る東京です。
齢八十になった山ケンが小さい頃住んでいた高崎(江戸時代から栄えた小さな城下町で、町毎に寺があった)の昔の姿と似ていて、カメラを向けた瞬間 70年前にタイムスリップしたような感情がこみ上げてきました。

195-2 現役民家
裏通りの行き止まり路地も悪ガキ達が飛び出して来そうで昔と何も変わっていません。
ここは上野公園の隣 さすがその家は、レトロな雰囲気を演出した喫茶店として繁盛していました。

195-3 井戸端
(向かいの家の湯沸かし器が無ければ) まさに明治・昭和そのままで、先刻までおかみさん達の声が飛び交っていたような路地裏でした。
 
195-4 江戸町火消「“れ”組」の遺構発見!
町内を散策中に一軒家の小さな裏庭に門柱(門灯?) のようなものを見つけました?! 
朱入れした「“れ”組」の文字が 一瞬“江戸町火消し”を思い出し家に帰って調べてみました。

*徳川吉宗の「享保の改革」のとき 南町奉行大岡越前守忠相が“町火消し組”を創り、享保5年には隅田川の西側を受け持つ“いろは四十八組”を組織。

東京消防庁の資料“町火消しの記録”によると 隅田川西側地域の“九番組”に「つ・ね・そ・れ」の組があり「“れ”組」は根津・千駄木・池之端を受け持つ 人足225人を抱える大きな組と分かりました。まさにここの土地! 
と、するとこの写真の場所は“言問い通り”の裏路で 雰囲気といい「“れ”組」の遺構の門柱ではないかと勝手に推測しました。

「“れ”組」の縁者かもしれないと、この家の持ち主をその後2度訪問したのですが留守でした。機会をみて再度調べたいと思っています。
                                                        
山ケン

0 件のコメント:

コメントを投稿