2016年9月2日金曜日

9/1 カメラ散歩 道路元標日本橋







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今週のテーマ;カメラ散歩 道路元標日本橋

今日は日本の道路元標の話です。
東京日本橋が日本の道路元標になったのは慶長8年(1603)、
徳川家康の命で日本橋川に木橋を架けたときからでした。

115₋1 19代日本橋
現在の橋は明治44年(1911)生まれの19代“石造二連アーチ橋”で
首都高速道路に頭上を塞がれ肩身の狭い存在です。

115₋2 日本橋歴史
江戸の町に作られた日本橋は 交通の要所として発展し
有名な越後屋(現・三越)などの商家や
魚河岸もある江戸の中心地で 地方に向かう街道の出発点になったのです。

115₋3 現在の道路元標
明治に造られた元標は今もそのままです。
里程標は当時の各街道のもので現在の国道の距離ではありません。

115₋4今一つの道路元標
橋の真上を通る首都高速の脇にこのような道路標識があるのを見たことがありますか?
AH1“ASIAN HIGUWAY”とあり、2005年に設置された標識です。

115₋5 AH₋1 アジアハイウエイ(1号線)
日本橋はヨーロッパに通じる現代のシルクロード
“アジアハイウエイ1号線”の東の出発点になっていたのです。

ここから福岡まで高速道路で行き、玄界灘を船で渡り、
釜山からアジアの西の終点トルコのカプクレと言う町まで
⒛,557Kmのハイウエイの起点です。
現在は北朝鮮が政治的理由で通過できないようですが
他はIS問題の現地以外は走行できるそうです。

テレビ番組「アジアハイウエイを行く(多分このようなタイトル)」と言う
カメラリポートがあったと記憶しています。

山ケン

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