2016年6月4日土曜日

6/3 江戸時代に民営有料橋の誕生







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今週のテーマ;江戸時代に民営有料橋の誕生

 吾妻橋は江戸で5番目の橋として十代将軍徳川家治(宝暦10年:1760~天明6年:
1786)
のときに 浅草花川戸の町人伊右衛門と下谷竜泉寺の源八の嘆願が幕府によって許可
され架橋した。

102-1 初めての民営有料橋 吾妻橋
着工後5年、安永3年(1774)に完成した初めての民営有料橋で武士以外から2文
(当時の2文≒40円)の通行料を取った記録が残っています。
架橋から12年後、天明6年(1786)の洪水で永代、新大橋が流され両国橋も大きな被害
を受けたが
吾妻橋は無傷で残り、架橋した大工奉行たちが褒賞を賜ったと言われています。

102-2 隅田川最初の鉄橋
その後何度か架け替えられ、最後の木橋は明治18年(1885)7月の大洪水で 流れてき
た千住大橋の
橋桁が橋脚に衝突し共に流失。2年後 明治20年(1887) 隅田川最初の鉄橋として架橋
された。
人道橋、鉄道(市電用)橋、車道橋の3本が並行していた。

*写真は浅草側から対岸を撮影、 対岸はアサヒビール工場で、現在はビルの屋上に
金色の炎のオブジェがあるので有名です。

102-3 火災で焼け落ちた橋底板の張り替え作業
大正12年(1923)の関東大震災で焼け落ちた木の橋底板の補修工事写真です。

102-4 現在の吾妻橋
昭和6年(1931)、現在の橋に架け替えられました。

江戸は隅田川の架橋により “大川向う”が著しく発展し1700年~1800年頃は百万人
を超え
ロンドン、パリを抜き世界一の都市になっていた。橋の存在は益々重要だったが、
寿命の短い木の橋が幕府・新政府にとってはお荷物だったようで手付かずの状態だっ
た。
明治も過ぎ 関東大震災を境に ようやく 鉄・コンクリートの橋として今の姿になっ
たのです。

隅田川の橋は現在千住大橋から下流側に18 あり、今年中には勝鬨橋の下流に築地
大橋が完成。
19橋になって都市交通インフラの重要性がますます増しています

山ケン

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