2018年8月4日土曜日

8/4 昭和の記憶









215
20180803

昭和の記憶
戦争が終わって73年。
昭和の記憶を探しに江戸東京博物館に行ってきました。
実寸大の展示場には“昭和の生活”があり 眼は小さい頃に戻っていました。

215-1ちゃぶ台
戦前の東京 下町の長屋、夕食は銭湯から帰った主人の着席を待っているちゃぶ台です。食料などの配給制度は未だ無く ちゃぶ台の上は豊かでした。
 時計のぜんまいを巻くための踏み台、この中におもちゃを仕舞っていたことを思い出した・・・

215-2 戦時中の居間
灯火管制、空襲に備え 電灯は母さんのモンペ作りの端切れ、窓に爆風対策の障子紙。男手が居なくなったちゃぶ台上は質素になっていました。

215-3 電化生活元年“1960年頃の団地”
戦後10年頃から復興が目覚ましく 街には電化製品が溢れて生活が一変。
東京郊外に 斬新な住宅団地*ができて 夢のようなマイホームが出現したのです。
蛍光灯が明るく、トースターに電気釜、何でも電気任せの生活は 幸せ一杯だった(ですね)。
*昭和34年(1959)東京近郷に初めて“ひばりが丘団地 2714戸”が完成。

215₋4生活の三種の神器
国民あこがれの的 “ベランダに電気洗濯機、ダイニングキッチンに冷蔵庫、居間には(白黒)テレビ”が鎮座。もしかしたら力道山のプロセスを見ていたかも・・・

215₋5 昭和の三種の神器出現以前
小さい頃 下町の借家に住んでいました。家にあるのはたらいと洗濯板のみでした。 ラジオは銭湯の番台と大家さん家(ち)に、(氷)冷蔵庫は町内の下駄屋さんと薬屋さんに、夏、遊び仲間の自慢ものでした。

山ケン

2018年8月2日木曜日

7/27 手賀沼の花火







214
20180727  手賀沼の花火
手賀沼は柏市と我孫子市の間に横たわる周囲20㎞程の沼です。
長年にわたって日本一汚れた沼だったが 2000年より利根川から10㎥/secもの巨大導水事業がスタートし水質浄化開始 水質は年を追ってよくなり、現在はトライアスロン大会が開催されるまでになりました。

今年の手賀沼花火大会(柏・我孫子合同)は8月4日(土)pm7~です。
昨年は夏風邪で床の中で音だけ聞いていた。 
ところが今年の夏は 体温より高い猛暑日続きで…  行けるかなー…?
*しばしストック写真で夏気分を感じてください。

214-1いよいよ開演
使用レンズは“等角魚眼レンズ”といって視野角180°35㎜フィルムでは真上を中心にすると地平線が真円に撮影でき“全天空写真”が可能で「雲量測定など」に便利なものです。
*昭和40年台後半“太陽追尾装置(昭和50年:1975 個人で特許出願)”開発
のため、当時 給料の5倍もするレンズを月賦購入したもの(笑)

この撮影は中心を仰角約30°に設定 水平線が大きく湾曲して見えます。
 *撮影20150801  EOS7D   魚眼8㎜(35㎜換算) *絞りf4 
 露出19sec  ISO 400 

214-2
 *撮影20160806  COOLPIX P900 24㎜(35㎜換算) *絞り f8 露出
 1/2sec ISO 400

214-3
 *撮影20100807  EOS7D  魚眼8㎜(35㎜換算) *絞りf4  露出
12sec  ISO 100 

214-4
*撮影20160806  COOLPIX P900 24㎜(35㎜換算) *絞り f8 露出
 1.3sec ISO 400

山ケン

2018年7月21日土曜日

7/20 らん展にて







213
20180720  らん展にて

今年の夏は 老人には暑さで外出もままならず過酷な気候です。
ここの所 一コマ/1日以上撮影のノルマも消化できません(笑)。
と、云うわけで 今回はストック写真です。
ご勘弁のほど・・・

213-1らん展にて6933
213-2らん展にて6828
213-3らん展にて6883
213-4らん展にて6941

山ケン

2018年7月14日土曜日

7/13 “鎮守の杜”そこには樹木に包まれた日本人の原点があります。







212
20180713  
“鎮守の杜”そこには樹木に包まれた日本人の原点があります。

その鎮守の杜を守った 南方熊楠(ミナカタクマグス)と言う男の話です。

212-1 参道を行く
参道の檜並木を撮影していた時 何故か小さな子供の頃に帰っていたような感覚を覚えました。理由は分かりません・・・

212₋2 社殿にて
ご神木に守られた社殿は懐かしい郷愁が漂っていました。
この少女たちは高校入学のお礼参りだそうです。

212-3摂社
杜の中にはいろいろな“神様”が同居 (摂社:せっしゃ) していています。
この鎮守は千葉県に多い“香取神社”が本社ですが、摂社には“春日社”など何社もありました。
今でも土地の老人たちは自分の心の拠り所にしているようです。

今から110年前、その“鎮守の杜”が日本から消えようとしていた

212-4“鎮守の杜”を守った男
森林の樹木を救ったのが南方熊楠*①(ミナカタクマグス)と言う日本初の“ecologistエコロジスト(生態学者)”なのです。

【エピソード】
明治39年(1906)明治政府が布告した「神社合祀令」で 全国に数千もある神社の統廃合と、近代化をいそぐための資源確保で樹木伐採が制定されることに…
熊楠は “自然保護”が絶対必要と信じ 柳田国男*②(当時はまだ政府官僚)らと共にその政策に強く反対し 廃案に持ち込んだ。
その結果 “熊野の自然林”をはじめ各地の“鎮守の杜の樹木”が救われた。

*①南方熊楠〔慶応3年(1867)~昭和16年(1941)〕; 日本の博物学・生態学・民俗学のレジェンド的な先駆者、和歌山県生まれ
・日本で初めて「 Ecologyを“エコロギ”」と読んで生態学をひろめた
・昭和天皇が生物学者になるきっかけを進講した学者
・ネイチャー誌に掲載された論文が50もあり、今でも日本人の記録保持者
・現在も 多くの著作が図書館の書架を占めている

*②柳田国男(やなぎた くにお)〔明治8年(1875)~昭和37年(1962)〕:日本民族学者・官僚、兵庫県生まれ。
 ・日本民俗学の開拓者
 ・「遠野物語」など著作多数。


212₋5御神木一本だけの社殿
サイクリングルートの開拓中、住宅地の丘の上に 御神木と社殿だけで 周囲に樹木の姿が全く無い風景を発見したときの心中…「・・・!」(´;ω;`)

この神社は徳川家光時代 元和6年(1620)に創建後 いつの間にか朽ちて放置されたまま周辺が開拓され 鎮守の杜もなくなって仕舞ったようです。
幸い1本の“御神木”が残っていて、近くのお寺に保管されていた古文書が発見されたことから 地元住民の総意が実を結び 平成24年に再建されたのです。

再建時に植えられた樹木が“鎮守の杜”に成長してほしいと願って映像を残しました。

山ケン

2018年7月7日土曜日

7/6 鳥の羽







211
20180706

 鳥の羽 

鳥の羽の美しさの撮影は「飛翔中のフォローか、止まっている場所から飛び出しの瞬間」を先読みするのですが なかなか上手く行きません。

基本的対策はカメラ機能の“高速連射”と“行動予測”に頼ることになります。
今回の写真は210-3を除きすべて高速連射の中の1コマから選んだものです。

211-1 さあー行くよ
羽を広げると1.7mにもなるダイサギの飛翔姿は美しく、悠然とした羽の動きは心を和ませてくれます。
餌を探していた場所から次の場所に移動する瞬間です。
カメラを構えてから待ち時間が長いことが多いので根競べになります。

211-2 パトロール中
鷹の仲間のノスリは手賀沼周辺では冬鳥です。カラスの挙動を上空から監視飛行中でした。
彼らの獲物は水辺・田畑の小動物ですが冬はカラスなどが確保した(動物の)獲物を横取りすることが多く よくバトルになります。

撮影は鳥の活動場所・時刻の予測が必須で、この場所も鳥マニアに聞いてから
3日間通った成果です。

211-3 何だろー!
ユリカモメは大変目敏く 公園などで人が池に餌を投げていると、沼の沖からでも飛んできます。

211₋4美しいでしょう!
カモメは、水面近くを泳ぐ魚などを目掛けてダイブして捕獲します。
失敗するとすかさず再飛翔して上空に戻ります。
この写真は餌に向かってダイブに失敗して浮上、飛翔に移る瞬間です。

山ケン