2018年7月14日土曜日

7/13 “鎮守の杜”そこには樹木に包まれた日本人の原点があります。







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20180713  
“鎮守の杜”そこには樹木に包まれた日本人の原点があります。

その鎮守の杜を守った 南方熊楠(ミナカタクマグス)と言う男の話です。

212-1 参道を行く
参道の檜並木を撮影していた時 何故か小さな子供の頃に帰っていたような感覚を覚えました。理由は分かりません・・・

2122 社殿にて
ご神木に守られた社殿は懐かしい郷愁が漂っていました。
この少女たちは高校入学のお礼参りだそうです。

212-3摂社
杜の中にはいろいろな“神様”が同居 (摂社:せっしゃ) していています。
この鎮守は千葉県に多い“香取神社”が本社ですが、摂社には“春日社”など何社もありました。
今でも土地の老人たちは自分の心の拠り所にしているようです。

今から110年前、その“鎮守の杜”が日本から消えようとしていた

212-4“鎮守の杜”を守った男
森林の樹木を救ったのが南方熊楠*(ミナカタクマグス)と言う日本初の“ecologistエコロジスト(生態学者)”なのです。

【エピソード】
明治39(1906明治政府が布告した「神社合祀令」で 全国に数千もある神社の統廃合と、近代化をいそぐための資源確保で樹木伐採が制定されることに…
熊楠は自然保護”が絶対必要と信じ 柳田国男*(当時はまだ政府官僚)らと共にその政策に強く反対し 廃案に持ち込んだ。
その結果 “熊野の自然林”をはじめ各地の“鎮守の杜の樹木”が救われた

*①南方熊楠〔慶応3(1867)~昭和16(1941)〕; 日本の博物学・生態学・民俗学のレジェンド的な先駆者、和歌山県生まれ
・日本で初めて「 Ecologyを“エコロギ”」と読んで生態学をひろめた
・昭和天皇が生物学者になるきっかけを進講した学者
・ネイチャー誌に掲載された論文が50もあり、今でも日本人の記録保持者
・現在も 多くの著作が図書館の書架を占めている

*②柳田国男(やなぎた くにお)〔明治8(1875)~昭和37(1962)〕:日本民族学者・官僚、兵庫県生まれ。
 ・日本民俗学の開拓者
 ・「遠野物語」など著作多数。


2125御神木一本だけの社殿
サイクリングルートの開拓中、住宅地の丘の上に 御神木と社殿だけで 周囲に樹木の姿が全く無い風景を発見したときの心中…「・・・!」(´;ω;`)

この神社は徳川家光時代 元和6(1620)に創建後 いつの間にか朽ちて放置されたまま周辺が開拓され 鎮守の杜もなくなって仕舞ったようです。
幸い1本の“御神木”が残っていて、近くのお寺に保管されていた古文書が発見されたことから 地元住民の総意が実を結び 平成24年に再建されたのです。

再建時に植えられた樹木が“鎮守の杜”に成長してほしいと願って映像を残しました。

山ケン

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