215
20180803
昭和の記憶
戦争が終わって73年。
昭和の記憶を探しに江戸東京博物館に行ってきました。
実寸大の展示場には“昭和の生活”があり 眼は小さい頃に戻っていました。
215-1ちゃぶ台
戦前の東京 下町の長屋、夕食は銭湯から帰った主人の着席を待っているちゃぶ台です。食料などの配給制度は未だ無く
ちゃぶ台の上は豊かでした。
時計のぜんまいを巻くための踏み台、この中におもちゃを仕舞っていたことを思い出した・・・
215-2 戦時中の居間
灯火管制、空襲に備え
電灯は母さんのモンペ作りの端切れ、窓に爆風対策の障子紙。男手が居なくなったちゃぶ台上は質素になっていました。
215-3 電化生活元年“1960年頃の団地”
戦後10年頃から復興が目覚ましく 街には電化製品が溢れて生活が一変。
東京郊外に 斬新な住宅団地*ができて 夢のようなマイホームが出現したのです。
蛍光灯が明るく、トースターに電気釜、何でも電気任せの生活は 幸せ一杯だった(ですね)。
*昭和34年(1959)東京近郷に初めて“ひばりが丘団地 2714戸”が完成。
215₋4生活の三種の神器
国民あこがれの的
“ベランダに電気洗濯機、ダイニングキッチンに冷蔵庫、居間には(白黒)テレビ”が鎮座。もしかしたら力道山のプロセスを見ていたかも・・・
215₋5 昭和の三種の神器出現以前
小さい頃 下町の借家に住んでいました。家にあるのはたらいと洗濯板のみでした。 ラジオは銭湯の番台と大家さん家(ち)に、(氷)冷蔵庫は町内の下駄屋さんと薬屋さんに、夏、遊び仲間の自慢ものでした。
山ケン
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