326
20200918
“江戸城”関係は2016年夏 の117号
以来12回の掲載でしたが 今回から新シリーズのスタートです。
江戸城平川門
江戸城(現:皇居)で桝形門(高麗門、渡櫓門)と木橋の一式が昔のまま残っているのは平川門だけです。大切にしたいです。
326₋1 現在の平川門
現在の木橋(全長29.7m、幅7.82m)は台湾産のヒノキ材を使って1988年(昭和63)に再建されたものですが築30予年 だいぶ痛んで来ています、そろそろ作り替えが必要な様です。
326-2 木橋の擬宝珠(ぎぼし)
再建された木橋の親柱の擬宝珠には寛永元年の銘が彫られたものをそのまま使用。橋本体は代替わりしながらも当時の姿を残してきたのは良かったです。
326-3 高麗門(第一門) と奥に見える渡櫓門(第二門:わたりやぐらもん)
この門は三代将軍・徳川家光時代1635年(寛永12)、家康時代から仕えてきた城造りで名高い藤堂高虎の基で造られた高麗門、渡櫓門の典型的な桝形門です。
渡櫓門の櫓部が関東大震災で大破(のちに復元された)以外 無事残っています。
この高麗門には面白いエピソードが・・・
*エピソード;三代将軍家光の乳母で権勢をふるった春日局(かすがのつぼね)が、門限に遅れ帰着したとき 門衛(旗本・小栗又一郎=小栗上野介はその末裔)が掟の例外を認めず寒い一夜を門前で過ごさせた。だが幕府は門衛の小栗又一郎を咎(とが)めず 逆に行為を褒め500石の加増となったと伝えられています。
326₋4 桝形の石垣に造られた“石狭間(石垣の石に穴を空けて銃座としたもの)”
桝形門の石垣の最上部、塀との境目に所々切り欠きが有るのが“狭間”です。
326₋5 桝形門の内部
石垣の上部に門外が見える四角い切り欠きが高虎の設計で造らせた“狭間”。ここから堀の対岸より木橋を渡って来る敵兵を狙うためです。藤堂高虎の ち密設計が感じられる平川門は 是非残したい時代の遺産です。
山ケン
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