山ケン【山田賢次】です。このmailはBCCでお送りしていま
*ファイルが開けない人、画像・本文に気付き点 ご希望などがありましたら
このmailに返信お願い致します。
今週のテーマ;『上巳(じょうし)の節句』 素盞雄神社(すさのお神社)
東京南千住にある素盞雄神社は
延暦14年(795年 桓武天皇が平安京を長岡京から遷都した翌年)の創建と伝えられ、
江戸時代になって今の南千住、三ノ輪、三河島、町屋など61町に
“総鎮守”としての“旧郷社*”です。
ここの天王祭は、京都の祇園祭と同様、夏に流行する疫病を祓(は
今も毎年6月に盛大に行われています⇒写真便り2015年9月4
あと一つは
雛人形を祀ることで厄除けを祈願する『上巳(じょうし)の節句』
“桃の節句”を前に訪ねてきました。
141₋1,2 旧郷社 素盞雄神社 境内
境内は今でも子供の誕生、成長を祝って氏子たちの参詣、子供たち
江戸下町の神社です。
3月3日は“上巳の節句”。
江戸時代から明治までは「重要な年中行事」として
式日(祝日)に制定された五節句#の一つ“上巳の節句”として儀
141₋3 上巳の節句
上巳の節句は 素盞雄神社では今も引き続がれ 境内の神楽殿をはじめ社務所、
特設ひな壇に数千体の雛人形が奉納開示され、氏子たちの楽しみに
141₋4 豪華な男雛
この節句は平安時代に古来中国で行われていた
「禊(みそぎ)を行い 身を清めて宴会をした」ことが貴族、武家の間で
「健康と厄除け」として伝わり、室町時代には3月3日に定着した
世の中が落ち着いた江戸時代になってから 競って
“豪華なひな人形を飾って祝うようになり”今に続いているのです
Q “上巳の節句”がなぜ“桃の節句?”
⇒旧暦3月3日(今年は3月30日)は ちょうど桃の花が咲くころで
「桃には魔除けの力があると伝えられていた」ことと、江戸時代に
「女の子の人形遊びの“ひいな遊び”が一緒になって“ひな祭り”
いつの間にか“桃の節句”と呼ばれ」女の子の祭りになった、とか
* 旧郷社⇒ 明治政府が制定した神社の“近代社格制度”の諸社(民社)で、
序列では府社、県社に次ぐのが「郷社(在郷の神社)」 と呼ばれた。
郷社は 「氏子の出生や住所の移動の際に守札の発行などが義務づけられて
この日も2組の赤ちゃんが初詣で 守札を戴いていました。
# 五節句⇒ 江戸時代に「重要な年中行事」として式日(祝日)に制定された五
① 1月7日“人日” ②3月3日“上巳” ③5月5日“端午” ④7月7日“七夕”
⑤9月9日“重陽”です。
この制度は明治になって廃止されました。
11月にはなぜか節句はありません。どなたか訳を知りませんか?
山ケン
0 件のコメント:
コメントを投稿