2017年3月5日日曜日

3/3 『上巳(じょうし)の節句』 素盞雄神社(すさのお神社)






山ケン【山田賢次】です。このmailはBCCでお送りしています。

*ファイルが開けない人、画像・本文に気付き点 ご希望などがありましたら
 このmailに返信お願い致します。

今週のテーマ;『上巳(じょうし)の節句』 素盞雄神社(すさのお神社)

東京南千住にある素盞雄神社は
延暦14年(795年 桓武天皇が平安京を長岡京から遷都した翌年)の創建と伝えられ、
江戸時代になって今の南千住、三ノ輪、三河島、町屋など61町にも及ぶ区域の
“総鎮守”としての“旧郷社*”です。

ここの天王祭は、京都の祇園祭と同様、夏に流行する疫病を祓(はら)う都市型の例祭で
今も毎年6月に盛大に行われています⇒写真便り2015年9月4日の63号に掲載しました。
あと一つは
雛人形を祀ることで厄除けを祈願する『上巳(じょうし)の節句』が見逃せない風情です。

“桃の節句”を前に訪ねてきました。


141₋1,2 旧郷社 素盞雄神社 境内

境内は今でも子供の誕生、成長を祝って氏子たちの参詣、子供たちの遊び場になっている
江戸下町の神社です。

3月3日は“上巳の節句”。
江戸時代から明治までは「重要な年中行事」として
式日(祝日)に制定された五節句#の一つ“上巳の節句”として儀式が行われていました。


141₋3 上巳の節句

上巳の節句は 素盞雄神社では今も引き続がれ 境内の神楽殿をはじめ社務所、
特設ひな壇に数千体の雛人形が奉納開示され、氏子たちの楽しみになっています。

141₋4 豪華な男雛

この節句は平安時代に古来中国で行われていた
「禊(みそぎ)を行い 身を清めて宴会をした」ことが貴族、武家の間で
「健康と厄除け」として伝わり、室町時代には3月3日に定着した

世の中が落ち着いた江戸時代になってから 競って
“豪華なひな人形を飾って祝うようになり”今に続いているのです


Q “上巳の節句”がなぜ“桃の節句?”

⇒旧暦3月3日(今年は3月30日)は ちょうど桃の花が咲くころで
「桃には魔除けの力があると伝えられていた」ことと、江戸時代に流行った
「女の子の人形遊びの“ひいな遊び”が一緒になって“ひな祭り”になり
いつの間にか“桃の節句”と呼ばれ」女の子の祭りになった、とか・・・

* 旧郷社⇒ 明治政府が制定した神社の“近代社格制度”の諸社(民社)で、
序列では府社、県社に次ぐのが「郷社(在郷の神社)」 と呼ばれた。
郷社は 「氏子の出生や住所の移動の際に守札の発行などが義務づけられていた神社」です。

この日も2組の赤ちゃんが初詣で 守札を戴いていました。

# 五節句⇒ 江戸時代に「重要な年中行事」として式日(祝日)に制定された五節句は

①  1月7日“人日” ②3月3日“上巳” ③5月5日“端午” ④7月7日“七夕”
⑤9月9日“重陽”です。
この制度は明治になって廃止されました。

11月にはなぜか節句はありません。どなたか訳を知りませんか?

山ケン

0 件のコメント:

コメントを投稿