写真便り20150403号
今週のテーマ:手賀沼に暮らした文人たち
大正時代 手賀沼湖畔には志賀直哉、武者小路などが
大勢暮らしていて白樺派の拠点となっていたようです。
41‐1 杉村 楚人冠(すぎむら そじんかん)
新聞人(朝日新聞勤務)生活の傍ら、随筆、 俳句などで活躍した文人。
彼は関東大震災で東京を離れ
当時文人たちが多く住む“別荘地我孫子”に邸宅を構え住み
自分が創刊した“アサヒグラフ”などで広く手賀沼を紹介した。
エッセイ集「湖畔吟」には手賀沼の風物が綿密に描写(41-4) されています。
41‐2 朝、湖面に写りこんだ青空、雲が清々しい一日を予感させます。
文人たちはこんな景色の中で、 創作の意欲燃えていたのかもしれません。
整) 気持ち良い写真 これはいい
41‐3 残照
志賀直哉は手賀沼湖畔の邸宅であの名作“暗夜行路”の
後半を書き上げた、と記録にあります。
作品の最終章で主人公“謙作”が心の葛藤からのがれようと“ 大山”に
入山、体の不調を押して頂上を目指す途中で遠くから聞こえてくる
「六根清浄お山は晴天」の声を聴きながら“解脱”していく心境・ ・
これは凡人の勝手な想像ですが・・
41-4 僕が手賀沼周辺を生活圏にしてから16年、
手賀沼の自然の姿に接して「湖畔吟」ならず「湖畔フォト」 を作りたいと思った
きっかけと感じています。
山ケン
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