2019年4月20日土曜日

4/19 平成の思い出 東京ランドマーク“スカイツリー”と下町スケッチ







252
20190419

平成の思い出 東京ランドマーク“スカイツリー”と下町スケッチ

下町からはどこからでもスカイツリーが見え、そこに生活がありました。


252₋1 仲良く下校

252₋2 子供が帰った校庭では

252₋3 公園の午後

252₋4 下町っ子カモメ

山ケン

2019年4月13日土曜日

4/12 隅田川カメラ散歩







251
20190412

隅田川カメラ散歩   昭和の遺産 勝鬨・永代・清澄橋が重要文化財に 
 隅田川にかかる橋はその多くが 大正12年の関東大震災後の昭和初期に帝都復興事業の象徴として建造され、橋は堅固で燃えない鋼鉄橋になった。

251-1 重要文化財になった勝鬨・永代・清澄橋
“勝鬨(カチドキ)橋・永代橋・清洲橋”の3橋が2007年4月に国の重要文化財に指定、永代橋は「帝都東京の門」、清州橋が「震災復興の華」と言われ 形が対照的な構造で美しい橋です。
*後から二つの橋の間に出来た隅田川大橋を画像から消すと構造の対象性
が分かります⇒写真

251-2 勝鬨橋
日露戦争の旅順攻略戦に勝利したことを記念して「勝鬨」と名づけられ、昭和8年に着工、1940(昭和15) 年に完成。
長さ246m、幅は22mで、船を通すため橋の中央が約70度開閉する隅田川唯一の二葉跳開橋だった。
鉄鋼製の橋梁で、二つのアーチの真ん中が開閉します。
昭和43年までは1日5回開閉を行い、約20分間 船を通していたが、
現在は大きな船の通過もなくなり開くことはありません。

251-3 永代橋
1926(大正15)年、震災復興事業の第一号として現在の橋が「二度と燃えない橋」として再架橋。
ドイツの鉄道橋をモデルにした現存最古のタイドアーチ橋で日本では最初に径間長100mを超えた橋です。

251-4 清州橋
1927(昭和3)年 世界でも美しい橋として知られていたドイツライン川に架かるケルンの大吊橋をモデルとして完成。
平均橋梁建設費単価が一番高額で当時の平均の約3倍、総鋼量を4,460トンも使った 他に比べ特出した橋です。

山ケン

2019年4月6日土曜日

4/5 250₋0 新元号“令和








250
20190405 

 新元号“令和”が決まりました。

250₋0 新元号“令和”
【元号の話】
日本の元号は 飛鳥時代 第36代孝徳天皇(596~654年)の“大化の改新”以降使われるようになり 初めの元号は“大化”。
江戸時代までは“年号”と同じ特定の年代の“称号”として扱われ 改元(変更)は「何かある度」年の途中でも実施されることがあった。

250₋1 菊花紋
 江戸城が皇居になって 櫓(ヤグラ)の鬼瓦は“三つ葉葵”から菊花紋に。
*天皇家“菊花紋”の起源は“後鳥羽上皇(鎌倉時代)”が用いてからと言われています。

250₋2 現在の宮殿と伏見櫓
元号は明治維新により “一世一元”に定着した。二次大戦終戦後 「旧皇室典範・登極令」が廃止され 元号不要論などが出てなかなか結果が出せず1979年(昭和54年)漸く法制化され法的に『一世一元』になった。

*明治天皇(122代)⇒元号244番目“明治” *大正天皇(123代)⇒元号245番目“大正” *昭和天皇(124代)⇒元号246番目“昭和”
平成の“今上天皇(125代)”は 2019年4月30日に退位 247番目の元号“平成”になります。

250₋3 皇居の春
現皇太子が天皇に即位する2019年5月1日より248番目新元号は“令和”。

【元号の出典】“令和”は日本最古の歌集“万葉集”巻五 梅花(うめのはな)の歌三十二首の序文(大伴旅人を中心とするグループが詠んだとされる)から引用された。

〇天平二年(730年)正月十三日に、師(そち)の老(おきな)の宅(いえ)にあつまりて 宴会を申(ひら)きき。
 初春令月 気淑風和 梅披鏡前之粉 蘭薫珮後之香
「 初春の令月にして、気淑(き よ)く 風和(かぜ やわ)らぎ、梅は鏡前の粉を披(ひらき)、蘭は珮後(はいご)の香を薫(かお)らす。」
  

250₋4 天守台の松の木
 2019年初夏の皇居、江戸時代から残る天守台に 端麗な一本の松の木が
 新元号“令和”を謳歌するように勢いよく茂っていました。

山ケン