2019年4月13日土曜日

4/12 隅田川カメラ散歩







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20190412

隅田川カメラ散歩   昭和の遺産 勝鬨・永代・清澄橋が重要文化財に 
 隅田川にかかる橋はその多くが 大正12年の関東大震災後の昭和初期に帝都復興事業の象徴として建造され、橋は堅固で燃えない鋼鉄橋になった。

251-1 重要文化財になった勝鬨・永代・清澄橋
“勝鬨(カチドキ)橋・永代橋・清洲橋”の3橋が2007年4月に国の重要文化財に指定永代橋は「帝都東京の門」清州橋が「震災復興の華」と言われ 形が対照的な構造で美しい橋です。
*後から二つの橋の間に出来た隅田川大橋を画像から消すと構造の対象性
が分かります⇒写真

251-2 勝鬨橋
日露戦争の旅順攻略戦に勝利したことを記念して「勝鬨」と名づけられ、昭和8年に着工、1940(昭和15) 年に完成。
長さ246m、幅は22mで、船を通すため橋の中央が約70度開閉する隅田川唯一の二葉跳開橋だった。
鉄鋼製の橋梁で、二つのアーチの真ん中が開閉します。
昭和43年までは1日5回開閉を行い、約20分間 船を通していたが、
現在は大きな船の通過もなくなり開くことはありません。

251-3 永代橋
1926(大正15)年、震災復興事業の第一号として現在の橋が「二度と燃えない橋」として再架橋。
ドイツの鉄道橋をモデルにした現存最古のタイドアーチ橋で日本では最初に径間長100mを超えた橋です。

251-4 清州橋
1927(昭和3)年 世界でも美しい橋として知られていたドイツライン川に架かるケルンの大吊橋をモデルとして完成。
平均橋梁建設費単価が一番高額で当時の平均の約3倍、総鋼量を4,460トンも使った 他に比べ特出した橋です。

山ケン

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