299
20200313
都電のある風景
東京の街は昭和60年代までは都心の主な道路に都電(路面電車)が走っていて好きな所に定額で行けたのですが1972年(昭和42年)までに ほとんどの路線が撤去され
残ったのが“荒川線(緑色)”だけでした。
“都電荒川線”に「都電ノスタルジー」を探し歩いてみました。
299₋1路線図
この図1960年代(昭和35~44)は まさに毛細血管のような都電路線でした。
しかし高度成長期が始まり
激増する道路の渋滞、東京オリンピック対策 等で
次々と都電が消えて行き
令和二年に残っていたのが緑色の“荒川線 12.2km
(それも殆ど専用軌道で一般道路との併用区間はたった1.7㎞) ”のみになりました。
都電が消えたのは1961年に(昭和36年) “昭和37年度首都圏整備事業計画策定方針が決定「都電と横浜市電は撤去に着手するものとする」”が発端となり、同年9月には杉並線撤去を勧告、渋滞の多い主要路線、地下鉄開通などが要因で順次廃止されて行ったのです。
299₋2都電 早稲田にて
この線は早稲田から南千住(三ノ輪橋)まで 大半が専用軌道で自動車通行への支障が少ないこと、路線とほぼ並行している明治通りの渋滞が恒常的で路線バス(都営バス)による運行代替では定時運行が困難であると判断、沿線住民を中心とする利用客からの存続要望も強かったことで生き残れたのです。
*2016年撮影
299₋3道路の広い飛鳥山付近
一般道路との共通路線は王子駅付近だけが残った。 *2016年撮影
299-4大塚駅前
*2015年撮影
299₋5町家駅前
南千住 素盞雄(すさのお)神社の天王祭本祭の日。 *2008年撮影
山ケン
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