2018年12月15日土曜日

12/15  上野界隈散歩シリーズ 第五話 東叡山寛永寺  その4 「昭和・平成復興のお堂







234
20181214
上野界隈散歩シリーズ
 第五話 東叡山寛永寺  その4 「昭和・平成復興のお堂


234-1 不忍池辨天堂
辨天堂は寛永寺を開いた天海大僧正が“比叡山麗の琵琶湖竹生島”になぞらえて寛永年間 不忍池に中の島を築き建立した。
 東京大空襲で焼失し昭和33年の再建です。

234-2不忍池から見た辨天堂とスカイツリー
芸能の神“弁財天”と長寿の神“福禄寿”が並んだ 平成のおめでたい風景です。

234₋3開山堂
開山堂は三代将軍家光の時代 天海大僧正の没後1年 1644(正保元年)に「慈眼大師」号が下賜され御影堂(現:開山堂)が創建された。
しかし火災で何度も焼失、1993(平成5)に開山堂として再建しました。

234-4開山堂の主“慈眼大師天海大僧正”
徳川家康・秀忠・家光の3代が帰依していた天台宗の僧・天海*①は江戸に天台宗の拠点となる大寺院を造営したいと考え 上野の山の大寺院計画は全て天海の構想の基に造られた。
 
*①【天海のエピソード】
1536(天文5)1643(寛永20)107歳まで生きた長寿僧
・徳川家康の側近から三代将軍家光20歳まで、「幕府の総合コンサル的役割
で君臨。
1607(慶長12年)信長の焼き討ちなどで荒廃していた比叡山延暦寺の復興に関して 比叡山探題執行役(比叡山の復興採否決定の最高責任僧)を命ぜられ 延暦寺再興に関わった。
・家康から始まった江戸城の工事は 1640(寛永17年)に終わるが、天海はなお存命しており、江戸の都市計画の初期から完成まで、50年近く関わった
ことになった。
上野に吉野から桜を移植して町民の為の「上野の桜山」を造営した。
山ケン

0 件のコメント:

コメントを投稿