盲腸(虫垂)のオペが終了しました。
入院1月7日pm、オペ実施9日、そして4日後の1月13日pm退院帰宅。
今回の開腹オペで「80歳超老人の実質入院日数6日間
は癌研東病院で記録的短さだそうです。
今回の手術は
8年前行った食道と胃の噴門部に出来た“扁平上皮癌”の「変態転移も考えられる」と言う癌研東病院のリコメンド方針は虫垂部のみ切除でなく「開腹し、腹腔鏡で監視しながら虫垂のある右側結腸部を全切断摘出・縫合」するものでした。
手術の前後4日間
固形物を一切飲食できない状態でのオペでしたが
何とか81歳の体力で持ち堪えられ、失血も少なく1.5時間で終了。上手く行ったようです。
最終細胞検査結果は未だですが「ほぼ100%良性だった
とのDr
発言にホッとしました。
本日の帰宅は流石に自転車では無理でタクシー利用でした(笑)。これも週刊写真便り発行継続のための努力です。
閑話休題!! ―写真便りを続けます―
239
20190118
“上野界隈散歩シリーズ” 今回から明治・昭和の記憶を探す散歩です。
第八話 日本で初めての公園
239-1上野恩賜公園
八代将軍吉宗時代の東叡山寛永寺寺領は堂塔30予、子院36坊もある当時最大級の大寺院で現在の上野駅・鶯谷周辺を含む広大な敷地だった。
1870年(明治3年)、上野戦争で焼け野原になった山を視察したオランダの軍医アントニウス・ボードウィンが「公園として残すよう
日本政府に働きかけ、1873年(明治6年)に日本初の公園に指定された。
239₋2 日本最初の博物館
1881年(明治14年)
ジョサイア・コンドル(神田ニコライ堂などを手掛けた明治政府の“近代化プロジェクトのお抱えコンサルタント的建築家”)の設計により製作
上野で開催された第2回内国勧業博覧会の展示館として使用された後、翌1882年(明治15年)3月から博物館の本館として使用開始。
1923年(大正12年)関東大震災で大破して使用不能になった。
239₋3 現在の東京国立博物館本館
現在の本館は着工から6年かけ1938年(昭和13年)開館した。 日本伝統の木造建築を鉄筋コンクリートに置き換えた形と技術の和洋折衷建築となっている。
展示室は1・2階に計26室あり、中央の大階段を取り巻いて「ロ」の字状に展示室が配置されていて
日本の絵画、彫刻、工芸、書などが展示されています。
239-4 明治が色濃く残る庭園
本館の裏側出入り口を出ると
寛永寺本坊時代からの池を囲んだ林の自然風景になる。現在は林の中に江戸時代の歴史的に有名な茶室や建造物が各地から移築されていて
散策する人が時空を超えタイムスリップしたような気分になれる庭園です。
この庭園は春(2ケ月程度)/秋(1ケ月程度)一般公開されます。
山ケン
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