2017年10月7日土曜日

10/6 カメラ散歩 “江戸城 外桜田門”








今週のテーマ;カメラ散歩 “江戸城 外桜田門”

*重要文化財の外桜田門は
平成23年(2011)の東日本大震災により屋根瓦の落下等の危険が生じたため、
高麗門の半解体修理、櫓門の屋根の葺き替え、外壁塗り替えなどを行い、
平成26年(2013)復元保存工事が完了したのを待って写真を撮りに行ってきました。

172-1外桜田門
 *正面が高麗門、右隣が渡櫓門(門外から撮影)

桜田門は三代将軍家光時代の寛永年間(1624~1644)創建と推定されています。
その後10代家治の時代 明和9年(1772)に焼失・再建 江戸時代の大火、地震にも耐
え、
大正12年(1923)関東大震災で被災、当時の宮内省が大幅な解体復元補強修理をしまし
た。

昭和36年に文化財保護法に基づく重要文化財に指定され、
(巻頭の)東日本大震災後の保存工事を行い漸く昔の姿に戻りました。

172-2外桜田門 渡櫓門
*(広い桝形門内から撮影)右側が高麗門

渡櫓門は正面の二階部分の梁行(はりゆき:建物の棟と直角の方向)4間(約7m)、
桁行(けたゆき:建物の棟と並行の方向)19間(約35m)と言う日本一の大きさで、
西の丸防備のための異例の巨大櫓です。

172-3 桝形門の特徴

桜田門は、正式には外桜田門と言い 城外に面した高麗門(こうらいもん)と
城内に入る渡櫓門(わたりやぐらもん)の桝形門(ますがたもん)です。

桝の周囲3面が濠に囲まれている外枡形門という防御性の高い虎口(城門)で、
桝形は東西約32m、南北約20m、周囲に囲いが無く濠を隔てた西の丸の石垣が一段高

曲輪(城壁土塁にそった囲い)を備え 高麗門に侵入の敵を高所から攻撃でき防御性が
高く
“外桝形門”と言われる理由です。

*「外桜田門」に対して「内桜田門」は今の「桔梗門」のことです

172-4 外桜田門 高麗門

江戸三十六見附(見附:城門に設置された見張り番所)の一つ外桜田門は
小田原街道の起点であったため“小田原口”といわれていました。
高麗門の近く500mほど先に“桜田門外の変”の井伊家の上屋敷
(現在の国会議事堂前の「憲政記念館」)があります。

安政7年(1860)3月3日早朝 井伊家上屋敷から登城のため外桜田門に向かっていた
“井伊直弼”が、季節外れの雪模様の中、水戸浪士17名と薩摩藩士1名に襲撃された
場所が
丁度この手前の路(写真172-5の三王祭の神輿が通っている場所辺り)と言われていま
す。


172-5桜田門外今は昔
 *桜田門前を通る日枝神社の神輿  2016年6月10日撮影

毎年夏に行われる江戸三大祭り“三王祭”は三代将軍家光以来 歴代の将軍が
“日枝神社”(徳川家康が江戸に移封されたとき、城内の紅葉山に遷座し、
江戸城の鎮守とした神社) の神輿に 上覧拝礼する「天下祭り」。
昔は半蔵門から入城、将軍の拝礼を受け平川門から江戸の町中に繰り出していた。

明治になってからは城内での上覧拝礼を行わず坂下門前における儀式になり、
日枝神社を出立した神輿は桜田門前を通って阪下門に向かうようになりました。

山ケン

0 件のコメント:

コメントを投稿