2016年10月29日土曜日

10/29 日立愛宕別館界隈 浦島太郎報告













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今週のテーマ:日立愛宕別館界隈 浦島太郎報告

昔 日立愛宕別館で勤務していました。
それから50年が過ぎ 当時 芝西久保桜川町と言われていた別館前の17森ビル跡地に
平成26年(2014)夏“虎ノ門ヒルズ”と言う大きなビルが誕生しました。

ウン十年ぶりに訪れた浦島太郎報告です。

123₋1 日立愛宕別館と虎ノ門ヒルズ

昭和39年(1964)日立愛宕別館が出来、鎌倉橋から事務所が移った。
昭和50年(1975)愛宕別館前に完成した17森ビル(写真右“虎ノ門ヒルズ”の前身)にも
オフイスを借りることになり社員の往き来が頻繁になった。

交通量の激しい“愛宕下通り”を社員の危険横断が絶えず
愛宕警察からよく注意されたことを思い出し 看板を写真に収めました。

123₋2 虎ノ門ヒルズ

17森ビルが変貌 大きな虎ノ門ヒルズになった。

終戦直後アメリカ軍の要請で霞が関から羽田へのアクセス改善のた
道路が計画(通称マッカーサ道路)された。
それから70年・・・
ようやく完成した道は 写真の虎ノ門ヒルズから地下に入り
手前の車が走っている道路の下を通って汐留に抜けていました。

123₋3 霞が関ビルから見た現在の愛宕山界隈

虎ノ門ヒルズと東京タワーの間の小さな森が愛宕山。
春盛りの昼
新人を連れて弁当持参で石段を上り花見に行った記憶が蘇ってきました。

123₋4 懐かしの蕎麦屋

蕎麦屋「とらのもん砂場」江戸時代からの老舗で 昼飯は“大もりそば”が常食だった。
仕事を終えて
 数人で“板わさ”“焼きノリ”と熱燗一杯で喉を潤しマージャン屋に急いだ。

当時と外観が全く変わらない懐かしさから
暖簾をくぐって新蕎麦の“(小)もり”をいただきました。
平成28年10月

山ケン

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