2016年3月13日日曜日

3/12 千住大橋と松尾芭蕉






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写真便り20160311(90)号
今週のテーマ  千住大橋と松尾芭蕉

千住に最初に橋が出来たのは徳川家康が江戸入府4年後の文禄3年(1594)。
この頃は未だ隅田川と呼ばれる以前で、単に“大橋”と言われていた。
それから100年、元禄6年(1694)徳川綱吉のとき隅田川下流に両国橋に次いで
3番目の大橋(現在の新大橋の初代)が出来たことで
“千住大橋”と言われるようになったと伝えられています。

90-1 橋の銘板が「大橋」のままの千住大橋
現在の千住大橋は昭和2年(1927)架橋で、大正12年(1923)の関東大震災で 隅田川の
橋が
ことごとく壊れた後の復興計画の最初に造られた強固な鋼鉄製のタイドアーチ橋で
す。
東京に現存する最後の老朽橋ですが 米寿を過ぎた今も交通量の多い
日光街道(国道4号)の一部の責務を果たしています。

90-2 千住の大はし (歌川広重作)
隅田川に初めて大橋を掛けたのが伊那忠次【天文19年(1550)~慶長15年(1610)
 家康の関東支配に貢献した代官】で、柱杭は仙台 伊達侯の寄進の槇材が使われ、
「伽羅よりもまさる千住の橋の杭」という川柳が残っています。
架橋は千住が湿地帯で大変な苦労だったと伝えられています。

90-3奥の細道 矢立初めの場所千住
元禄2年(1689)3月27日(5月27日)深川の芭蕉庵から船で門人たちと千住に着いた松尾
芭蕉、
ここで門人たちと別れて曾良と二人で「奥の細道」に旅立った。
その時の矢立て初めの句が「行春や鳥啼(なき)魚の目に泪」です

*矢立て初め⇒携帯用の筆と壺のセットを始めて使うことで⇒発句のための旅立ち

90-4 千住大橋南詰にある素盞雄神社(すさのおじんじゃ)の芭蕉記念碑
平安時代 延暦14年(795)に創建された社と言われる境内に,芭蕉と門人たちが
この筆を確かめた碑が現存しています。

*場所:千代田線南千住駅下車徒歩約8分

山ケン

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